相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第563回例会週報

562回 | 564回 | 2004-05週報目次
◆ガバナー公式訪問
松宮 剛 ガバナー
ガバナー公式訪問 CELEBRATE ROTARY

ガバナー御紹介
原 幹朗 第5グループガバナー補佐

 本日は、松宮ガバナー茅ヶ崎の方から遠路お越しいただきました。今日はガバナーの卓話の後クラブフォーラムを予定しております、楽し味わいのある一時をお過ごしいただきたいとも思います。松宮ガバナーは、昭和22年2月22日の御生まれで、今年度日本のガバナーの中で最も若いガバナーの御一人です、50代のガバナーは、3人しか居られません。ガバナーは、現在松宮歯科医院の院長なされており、東京歯科大学を御卒業されております。1982年から茅ヶ崎湘南ロータリークラブに在籍され、その後数多く地区委員を歴任しご活躍され、現在に至っております。ロータリーの友に載って御座いますので、皆様既にご承知と思いますが、今日は他のクラブには無い紹介をしたいと思います。
松宮さんのデータ−を新規に入手しましたのでそれをご披露したいと思います。ロータリーの友はご夫婦で出ていますが、奥様はシャンソンを嗜む才色兼備な方であります。
今日その出会いのときを確認しましたところ当クラブ田中会員と似ておりました、松宮さんのご出身は今日の歌琵琶湖周航歌のふるさとで御座います彦根の出身で奥様も彦根市内の出身でございまして、高校の同級生でご結婚されたということです。田中さんと一緒という意味はご夫婦そろってコーラス部であったという事で御座います、先ほども松宮さん美声を発しておられました、これからは事ある後とに松宮さんに1曲お願いしたいと思っております。雑駁な紹介で申し訳ありません、では宜しくお願い致します。


100周年の歩み 最大の意味とは
松宮 剛 2780地区ガバナー

 只今ご紹介いただきました松宮と申します。今日で四回目の公式訪問となるわけですが、ご覧のとおりの人間ですから若造に見えるらしく、てぐすね引いていじめてやろうと思っている古い会員が,厳しい質問を持って待っているということに遭遇しております、それはそれで結果として楽しい事となっております。

 ここまで公式訪問したクラブは30名以下のクラブで、今日が一番多いクラブ会員数を誇るグリーンクラブで、いつも緊張しておりますがやっぱり緊張しております。

 原さんとの出会いは、このクラブができる前チャーターの前創立の後です。チャーターの為に各クラブにご案内に見えたときでした。茅ヶ崎湘南に見えたときの感触でなんとなく息が合ったといえばいいのでしょうか意識したと言うのでしょうか、それ以来の御付き合いで御座います。

 結果としては,地区内でグリーンロータリークラブが既にリーダーシップを取っていて誇るべき活動をされていると思います。先ほどのスマイルにも書かせていただきましたが、会員が自覚をもって2780地区を引っ張っていくクラブであると言う自負心を持って今後の活動をしていただきたいというふうに思います。また宮崎さんとももう数年の御付き合いでごいっしょに国際大会へ参加したという間柄です。今年は、ジャパンプログラム平和センター委員をお勤めいただきます。それから小林さんは、米山学友委員をお勤めいただきます。同業の今井さんですが拡大増強委員でご活躍いただくことになっております。さらには浮田さん、またかつて地区で大いにご活躍されました鹿島年度雑誌委員をされた佐藤さん、同年度のIT委員をされた佐藤和仁さん、今年度も皆様是非宜しくお願い致します。

 公式訪問と言うことですが、先ほどのいじめられた話に戻ります、ロータリアンは平等の関係なのだから公式訪問と言う名称でクラブに来ることは非常におこがましい話ではないか、何ゆえ公式訪問と言うのかと言う厳しい質問をいただきまして、その説明をしたい訳で御座います。場合によっては何ゆえ私がこうして来ているのか各クラブにこれから説明しなければならない必要性があると思いますので、それに触れたいと思います。

 歴史をさかのぼりまして、最初にクラブができたのはシカゴロータリークラブですけれど、シカゴロータリークラブがシカゴと言う名前をつけたのがいつだか皆様ご存知でしょうか、残念ながら私は知っておりません。
 たった一つしかクラブが存在しないで、その名称をブースターとか考えたあげくロータリーとしたと言うことはわかりますが、それではいつシカゴロータリークラブとしたか,シカゴワンと呼ぶのはもっと後になりますが,シカゴと名称がついたのはいつか、もし御興味の有る方は調べていただきたいと思います。
 5年後の1910年には全米に16のロータリークラブができましたが、日本のこういう地区の中のクラブが接している状況と違い、ロサンゼルスであるとかシアトルであるとか広範囲にクラブができていく訳ですが、最初に拡大に奔走した人は、ロータリーがどうゆうものであって,どのような活動をするべきかをしっかり伝えただろうと思いますが発足はするものの、その後全米の中で最初の話だけを聞いて活動していくうちに、だんだんその活動がバラバラになって行ったのです。
 最も大切な根幹の一つであるロータリーが何であるかと言うこと,どうゆうことを目標にしているクラブであるかをも守ってくれる別の団体が必要になってきたことを各クラブ郡が感じてきた。つまりロータリーの目的を守る各クラブがそれぞれの活動の目標に見合った活動になっているかをチェックする機関が方向を一定の方向に向けていく為に存在する機関、そう言う意味でクラブ郡の要請でできた国際ロータリークラブの前身である全米ロータリー連合会その後のロータリークラブ国際連合会で1922年にRIと成る訳であります。決してRIが先にできてクラブが後でRIの指導の基に、どんどんクラブが生れてきたものではなかった。そこのところをまず振り返って頂きますとRIと現在のクラブとの関係がわかりやすいかと思います。

 いくつかの権限を国際ロータリーに委譲しました。今申し上げたような中核を守っていくこと、クラブ郡の情報の媒介をする連絡調整をするその代わりにクラブは会員の頭割り人頭分担金を支払ってそういう権限を委譲しました。
 その後益々国境を超え世界各地に現在166の国・地域に13000余りのクラブができてきたわけであります。このように成ってきますとやはり限られた地区の中でもある方向性を監視していくそう言う部分が必要となってくる、それを便宜的に一つのクラブ郡をまとめた地区と呼んでいる、ガバナーと言うのはその地区におけるRI理事と言う方がいらっしゃらなければその地区唯一の国際ロータリーの役員と言うことになります。

 もちろんロータリアンは平等でありますから、私はこの年度伝えていきますことは、ロータリーに入っての最大の価値はいちロータリアンであると言う価値以上のものはどこにも存在しないわけでそのことを身おもって常に伝えていきたいと考えています。私のこの年度は、そういう意味ではこの一年に限っては、国際ロータリーの理事会の意向を受けた役員であるということでこの地区内のクラブが目的にかなった活動をしているかどうかを評価し、評価するだけではなく直すべき点は直していただくように、それからその報告をRIに日本事務局を通じて報告をしていく、そういう役目を担って今日こうして参っております。この年度を過ぎればまたいちロータリアンに戻ります。

 ガバナー就任の7月1日でなく、全国34地区の新任ガバナーが集まった会議が東京であったのですがそこで自己紹介をされた我々と同期ガバナーの方の御一人が、私はパストガバナーエレクトに成りましたと、そのようなおっしゃり方をされました、つまり来年の7月を過ぎるとパストガバナーと呼ばれる仲間の中に入ってしまうのでそう言うおっしゃり方をしました、ガバナーと言わずにパストガバナーとおっしゃった。パストガバナー集団は、公式には特に権限は無いわけですが何か大きな会合がありますとRIの席次の中では古いほど上位にいくと言う席次がありまして、RI会長を頂点としてRIと言うところは基本的には、はっきりした上下関係を持っているところなのかもしれません。そう言うところを、地区内の当然平等であるロータリアンにそれを押し付けられると困ると思います。

 私は元ガバナーでもし利用に値するような元ガバナーに成れるなら本願でありますが、パストパストガバナーにはなりたくない、あえて本年度ガバナーであってパストガバナーになりたくないという自己主張を密かに持っていると思って頂きたい、そう言う訳で、御役目として今日ここへ参っているわけでそれをご承知いただきたいと言うことを昨日までの3クラブに申してきました。単にその年度の御役目なのですクラブにおける会長の役目も同様で当該年度の対外的な顔でありクラブに対してリーダーシップをとっていかなければならないけれどもその任が終わった来年の7月にはクラブのいち会員、いちロータリアンに戻ることを我々が最も恩恵に善くしているロータリークラブに入った最大の意義であることを伝えなければ成らないと思っております。

 皆様ご承知のとおり今年度はロータリー100周年と言う年度になります。100年に一回しかめぐってきません、もう一度経験なさる方はこの中には御見受けできないと思います、一番若手の会員の方におかれても甘んじて受け入れなくてはならい訳で逆にいえば、今年度は大きな節目の年度であることを、そう言う意識を年間通じてもっていただくことが必要であると思います、その100周年の意味は、ロータリーが誕生してどのような理念を作りどのような活動をしどのように発展しここまで歩んできたかを考えていただきたい。
 このテーマ、グレンE・エステスRI会長のテーマにも有りますように単に[セレブレイト・ロータリー]と言っているのではなく、その下に[100周年の歩み]と御座いますように100周年の歩みと言うことに関心を寄せていくことがこの100周年の最大の意味だと思います、振り返り現状の足元をしっかり見る現状を見ると言うことは、非常に勇気の要ることだと思いますが、歴史的に培ってきたものが今どうなっているかと言うことをふまえて次の一世紀に向かって,ロータリーが何を根拠に発展していくかが可能なのかは皆さんの胸の中にあり皆さんにかかっていると言っても過言ではないと思います。
 そういう意味で100周年の歩みとかかれているところに目を向けていただいてそこをしっかり見るからこそ100周年を祝おうと節目に遭遇した稀有な自分たちのありようを祝いたいと言うそういう願望であります。

 100年の歩みと言うことで,ロータリーが何ゆえ他のクラブ郡と違うのかと言うところも御話したいと思います、皆様ご承知のとおりで繰り返しと思いますが私なりの話し方ということでお聞き下さい。
 2001年の規定審議会で皆様ご承知のように、50名以下のクラブでは5名までの同一職業分類会員が入会可能となりました、50名以上のクラブは10%までOKである、皆様ご存知と思いますがしかし何ゆえこう決めたかと言うことを思い返していただきたい、2001年にでました手続要覧にはそのように書かれております、1998年版では、アディショナル会員3名、シニアアクティブ1名・正会員1名少し特殊でパストサービスを入れると最大で6名その特殊なものを除いても5名と言うことが可能だった訳で世界13000のクラブ郡の中で5名の同一職業分類の会員を今までかかえたクラブがなかったとは言えないと思います。

 2001年の手続要覧をご覧になっても解りますように、50名以下の会員なら5名までと言う事が書かれていますがこれは現行の会員を退会させる性質のものではないと書かれております、いかに規定審議会といえ現行の会員を退会させるようなルールの変更をすることはできない、そう言う意味ではやむおえない5名であったという言い方ができると思います、それを反映するかのようにその条項が頭書きには制限と書かれています、これがほんとに大事なことだと思います。
 50名以下のクラブで既に5名の同一職業分類の会員がいる場合、更に一人を入れることはできないと言うことです、50名以下で5名入れなさいでなくまた入れてよいでもありません、5名既にいるクラブはもう一人入れてはいけないのであります、ここのところが大切なところであります。

 以前の手続要覧にのっとってクラブ運営をするよりも今度の制限と書かれている方がロータリーの本質を生かしやすい、じゃあうちのクラブは一業種一会員で行こうよと会員の申し合わせもしくは内規、場合によってはクラブ細則でそのことを歌っても大丈夫だと私は思います。

 一業種一会員は何ゆえそんなに大切であるかと言うと、これは結論から言いますと一業種一会員制と、毎週一回の定例例会への規則的な出席、反強制的と思えるような出席、毎年交代すると言うこと,会費が同額であることこういうことを含めて、私はこのことを、巧妙に仕組まれた親睦の構造と呼びました。それは何故かと言いますと、同業組合たとえば歯科医師会に行きますと、皆同業には違いないのですが生活体験生まれ育ちも違いますから、逆に言えばどんな人も誰一人として自分と同じ人物はいないわけで、違っている、ましてロータリークラブでは仕事も違うみな異なった仕事を背負って会員になっている、つまり極限状況に異質を集めたロータリークラブの会員構成であります。
 その異質によって何が芽生えていくかと言うことなんですが、そういう集まりの中には当然気の合わない人がいる、場合によっては天敵と呼ばれる相手もいる、このクラブではいかがでしょうか、しばしばそういう弊害として徒党を組むとか派閥に分かれるとかが有って、それが原因で退会者が続出することが現に我々は目の当たりにするところでありますが、本来は異質の人たちには天敵もいる自然界の植生と同じであるし自然の生態系と同じ実情がある、それもすべてが違う極限状況でロータリークラブの会員構成が作られているそう言う実情がある、それらの会員が同じ活動を共にして行く、否定し合って俺は抜けていくではなくて会員としてずっと皆育っていく、共にやっていくと言うことはそれから得られるものは非常に計り知れない人間を造っていく景気になると思う、そう言う構造としての一業種一会員制これを葬る理由はないと思う。

 もう一つ、忙しい企業人がどの程度月の中に合うことができるだろうか、これは例会の前の会長・幹事の懇談会の中で何方かの発言にも有りましたが、毎週一回合うということはこれも稀有なことであると思います、これは忙しいビジネスマンが合える最大の回数ではないか,そう言うところにロータリーの活動があるわけで、一業種一会員制皆違う中で同じ活動をいっしょにやっていく、場合によってはクラブ会員は一生でありJC会員のように卒業はありません、ローターアクトにいたったら非常に厳しいものがあります、18歳から30歳までと歌われていますが18歳で入ってくる人はまれで20数才で入ってきて長くて5・6年後30歳で卒業です。

 私も先日6月にローターアクトの地区協議会へ始めて参加したとき、おめでとうと言ってくださいといわれましたが、それは卒業生を送るためにおめでとうと言ってくれと言うことだった、ローターアクトクラブの会員増強の難しさと比べればロータリークラブの増強の難しさはそれほどではないのかもしれない、ローターアクトクラブに25・26才で入会して、同年代の仲間を5・6名呼んできてそのときは一時的に会員が増えても30歳になると一編に卒業してしまうそういう厳しさをローターアクトは持っているがロータリーはその点では基本的に仕事の第一線を退いても会員でいられるからローターアクトの悩みとは違う、喜ばしい関係を生涯続けていられるロータリー、逆に短期間過ごすからローターアクトであったことの意味はそれだけ増大すると言うことも言えると思います。ずっと一緒にいく異質な人たちが,互いに育っていく為には合う回数が多い方が言いと言うことになると思う、違うと言う意味で意見が対立しまったく考えが違うと言うことで接することが多い方が良いそれを満たしているのもロータリーである。

 ですから今は、巧妙に仕組まれている親睦の構造という言葉ではなくて、戦いではなく互いが否定するのではなく互いがいっしょに共に活動し生き甲斐を全うしていくという意味合いからすれば、共に生きる知恵を育む宝庫と最近呼ぶよ位になるように、ロータリーの基本構造をなしている一業種一会員制と毎週一回の定例例会に半ば強制的出席が持つ意味も非常に深く大きいと言える、さらには毎年変わる機能分担の世界で会長であれなんであれ,1年間頑張れば済むと言う利点もあるかもしれませんが,専門家を作らないという言い方をしても良いかもしれません、その代わり[ノーと言うなよロータリー]と言うことをお聞きしたことがあると思いますが、頼まれたときに貴方は成すべき事を成しなさい、会報委員を嫌がる人がいますでもロータリーの世界ではあっては行けないのです。
 ソングリーダーを頼まれる俺は歌はとてもそうではなくてその人流にやることロータリーの世界ではそれを吸収してくれる世界ですから間違った結果がでたらロータリーの評価が落ちると言うものでは在りませんからやはりその人なりにやっていくことに意味があることですから断わって踏襲の様に毎年同じように会報委員会は原稿を集め労力を少なくしてうまくこなしていくと言うことでなくて、私もやりましたが一番手間のかかるテープ起こしをする、30分のですと4時間半もかかりました、そうしたテープ起こしをしてまとめる、わからない専門用語に付いては話されたその方に電話して聞くそのことによって自分も知識が深まるし、漢字の使い方もわかるし専門用語をいくつか覚えそう言うことで育つと言うことに成る。
 そう言う意味で頼まれたときに絶対に断わってはロータリアンが役目を頼まれたときの態度で在ろうと思われます。そういう事で親睦が成されていく訳であります。

 また会費が同額であることは徹底した平等であることでどんなに世間的に評価されている偉い人と同一のクラブであってもその人とロータリアンとして対等であるからその人と同席して同じ話題で話せるそういうことも可能でありまして皆様おっしゃる平等だ平等だと言っても少しも平等でない今日の私の立場は立場だけでロータリアンとして平等なんですがたとえばパストガバナーや地区大会へ見える御客様の待遇に対してそう言うことを色々見聞きするに付けもしくはクラブ内でもそう言うことを感じるかもしれませんが平等とは名ばかりで本当は厳密な縦社会になっていると言う言い方がされます、それはやっぱりロータリーの親睦の構造に対する理解のなさがさせるものであると思う。

 なおかつ平等とか自由とかいうものはかつて日本の思想を書きました丸山眞男の言葉を借りれば自由とはその場にそのままあるものではなく絶えず自由であろうとする思いを積極的に働きかけていってこそ獲得できるものが自由であってその場においてあるものではないそれと同じように平等もそうだと思います。
 平等だと言う意識を持っていつも参加していく繰り返し平等だといつもそう言う意識を持って作り上げていくものとして平等は存在しているのではないか、そうでないと日本的慣行の中で結局は機能分担が会長は偉いと上下関係にすべて翻訳されて日本化されて、JCと余り変わらないようなロータリークラブとなってしまいそのようにして性格を失っていくと始めに奉仕活動がありきで、何ゆえ他人の為に何かを成したいと言う気持ちが育まれていくかと言う構造としての親睦術は発揮されないでそこがかえりみられない。RIの昨今の方向性もそうでありますがそういう意味では人を育てることができない。

 月信にも書かせていただきましたが[Enter to learn and Go forth to serve][入りて学び 出でて奉仕せよ]これがロータリーの活動の内容を端的に言っていると思うんです。広くロータリーの世界で狭く言えばロータリーの例会で学ぶいろんな会員との交流の中でこの交流は具体的な話し合いをするとかしないとかではなく、人間の能力は生物として非常に卓越したものはあるものですが、おそらく一瞥して私に対してどう思っているかが分かるわけで、こうして私の話を聞いている皆様それぞれの態度を見ていてもそれぞれ自己主張をされていることが明らかで人間とはそういうことがはっきり評価できる生物だと思う。

 そういう事で1時間の例会と言ども得られるもの単に与えるものは非常に大きいものと言えると思います。そういうロータリーが最も大切にしている人を育てると言う意味合いでの親睦をかなぐりすててのたんなる結果としての増強とか世界的人道主義プロジェクトに邁進するとか、片手落ちで心を伴っていない実践活動と言うのは単なる動きだけに成ってしまう、親睦の効果ゆえにえられたものを先ほどの言葉の連続で言えば職場に帰りロータリーの世界をはなれ地域社会で自分が参加している文化活動の中で何か人の為に何か成していこうとする。
 尚一方では人の為にと書いて偽りと読むと言うのがありますからここのところは難しいところがありますがこう言うところに[He Profits Most Who Serves Best]とかの評価が分かれるかもしれませんがそのことは別のこととしまして[Enter to Learn and Go forth to Serves][入りて学び 出でて奉仕せよ]その意味は元来そう言うものであってだからこそクラブ単位でやる社会奉仕活動そういうものを個人が働きかけていく場合の教育的なものであったという基本は改めて質を見なおして足元を固めた上でその区別も固めていただいて奉仕活動に勢力を向けていただければ、100周年と言う意味はより深いものとなるでしょう。 雑駁でしたがこれで終わりたいと思います。



クラブフォーラム (PM1:35〜PM3:10)
1. 職業奉仕に関する倫理観
2. 味わいのあるロータリー活動とは
3. 規定審議会の内容について
原ガバナー補佐の司会進行により、各会員より澁谷会長から出された上記テーマについて多数の質問、意見がだされ松宮ガバナーのご指導のもと、熱き討論が3時過ぎまで交わされた。