相模原グリーンロータリークラブ
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第551回例会週報

550回 | 552回 | 2003-04週報目次
◆エイズについて
浮田 實 会員

エイズとの関わり
 私は大学卒業後加藤勝治教授の主催する血液学教室に入局しました。教授はシカゴ大学医学部出身の血液学者で多くの業績をのこしておられます。彼は日本で最初の血液銀行を日本赤十字社に開設したことで有名です。

 私に与えられたテーマは血液凝固の仕組みを解明することでした。したがって、臨床では主として血友病や紫斑病の患者の診療にあたっていました。血友病は血液が固まるために必要な一つのたんぱく質が生まれつき欠乏ないし欠損しているために起こる病気です。私は正常な血液からこのタンパク質を抽出すべく努力しました。

 昭和35年8月教授のご指示でニューヨーク大学のC・Y・Shinowara教授の研究室に交換研究員として渡米することになりました。彼は日本の医学書にも紹介されている著名な化学者で、彼の研究室はみな化学者ばかりで、医師は私一人でした。医学部には当時日本人はほとんどいませんでしたので、大変大事にしてくれました。彼の研究室ではほとんどの凝固因子は純化されていましたので、血友病の欠損しているたんぱく質について研究は順調に進めることが出来ました。しかし、いまにして思えば私の用いていた資料(血液製剤)のなかにHIVが存在していたことは神ならぬ身の知るよしもありませんでした。

 帰国後も血友病患者の診療をしていましたが、ある日、患者が下痢を訴えて当科にまいりました。発熱に軽度の脱水症状もありましたので、輸液をし投薬をしてかえしました。数日後再び来院してきたときは、症状はさらに悪化し死の転帰をとるにいたりました。病態を明らかにするため、家族の了解を得て病理解剖を実施いたしました。病理学的にはリンパ腺腫という診断でした。

 1981年ごろに男性同性愛者、麻薬常習者に免疫力の落ちる奇病が出現しました。1982年アメリカ防疫センターはこの病気を後天性免疫不全症候群(エイズ)と命名しました。1983年にフランス・パスツール研究所のモンタニエ博士はエイズの原因ウイルスを発見しました。後にヒト免疫不全ウイルス(HIV)と命名されました。

HIVとはどんなウイルス
 マラリア熱の病原体のマラリア原虫は赤血球に寄生しますがHIVはリンパ球(CD4)に寄生して増殖します。すべての生物は遺伝情報(DNA)を親から子へと伝えていきます。HIVはDNAをもたないので自分自身では増殖ができずヒトのリンパ球のなかに侵入し、リンパ球の染色体の中に組み込まれて増殖していきます。このウイルスはわれわれの身体の一部となって常染色体性優性遺伝方式で増殖します。これはヒトにとって致命的な現象です。エイズの治療が難しい原因はここにあります。

 HIVはとても弱いウイルスです。HIVは水で1000倍以上の希釈で感染力を失います。(B型肝炎は1億倍に希釈しても感染)又、1回の性交による感染率は0.1〜1%(淋病は約50%、梅毒は約15〜30%)です。

HIVはどこから
 エイズはなぜ1980年代になって突然発見されたのか。それまでHIVはどこにいたのでしょうか。アフリカに昔からスリム病という風土病がありました。この病気に罹るとだんだん痩せて死んでゆくのでスリム病といわれていました。後にスリム病の原因がHIVであることがわかりました。さらに、中央アフリカに生息するチンパンジーがHIVに類似したウイルス(SIV)をもっていることがわかり中央アフリカが起源と考えられます。このチンパンジーと人間との接点が今後の問題です。サルからきたとしても1980年代の流行の直前にヒトにきたものではなく、かなり長い間アフリカの奥地で母から子供へと伝えられたウイルスが交通網の発達により世界中に広まっていったものと思われます。さらに米国のホモ、麻薬常習者間で感染を繰り返しているうちに、恐ろしいウイルスに変貌したのではないかと考えられています。

HIVはどこにいますか
 HIVは白血球のリンパ球に寄生しますので、リンパ球の多く存在する血液、精液、膣液に存在しています。したがってHIVの感染経路は性交、輸血、血液製剤、薬物静注常習者、HIV陽性の母親から子へ、などから感染の可能性がありますが、感染力の弱いウイルスですのでこれ以上の経路の感染はわが国ではありません。

エイズの治療法は
 現在、エイズを殺すことはできません。したがって、HIVに感染したら発病(エイズ)を遅らせる治療がおこなわれています。