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相模原グリーンロータリークラブ 第547回例会週報 |
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546回 | 548回 | 2003-04週報目次 |
◆「最初はひとつだった」 (ロータリーの誕生) 遠藤 正典 会員 |
1905年 2月23日木曜日の夜は身を切るような風が吹き荒んでいました。ポール・ハリスはマダム・ガリの店で夕食を摂りながら、彼の顧客でもあるシルベスター・シールに、兼ねてから話していたロータリークラブ結成の構想を具体的に説明しました。ポールの構想に全面的に賛同したシールは、共に、シカゴ市ディアボーン街127 N.ユニティビル711号室にあるガスターバス・ロアの事務所に赴き、既にその場で待機していたロア、ハライム・ショーリーと共に、ロータリークラブ設立のための初の会合が開かれたのです。 この日の会合では、「一人一業種で親睦を深める会を作る」という設立の主旨を熱っぽく語り合われ、クラブには実業人だけではなく法律家、医師、宗教家と、あらゆる職業の人を集めることにして、次回の会合の日程を決定したといわれています。 二週間後の3月9日の会合は、ハリー・ラグルス、ウイリアム・ジェンセン、アルバート・ホワイトが加わってポールの事務所で開かれ、ロータリーの語源ともなった例会場持ち回りの原則が決められました。 三回目の会合は、3月23日にシールの会社で開催されました。この日の会では役員人事が決定し、例会場を持ち回りするということから、この会にロータリークラブという名前がつけられました。 シールの会社で会合を開いたことを記念して、ポールの指名によって初代会長にシルベスター・シールが就任したことは、実質的な主催者であるポールの謙虚な人柄が忍ばれると共に、依頼されたことは、どんなことでも快く引き受けるというロータリーの伝統として、現在に引き継がれています。この会合で、十指に上るクラブ名が提案され、喧喧器器、議論に疲れ果てたあげく、ポール・ハリスが提案した二・三の候補の中から[ロータリークラブ]が採用されたといわれています。 この何れの日をもってロータリークラブ設立とするかについては、法的に幾つかの解釈がありますが、RI理事会は1905年2月23日に開かれた会合を最初の会合と認めて、[ディアボーン街の奇跡]と呼び、この日をロータリー創立の日と定めています。 万博後の大不況、ギャングの横行、金もうけのためなら手段を選ばないという職業倫理の低下、信頼関係の欠如。1905年、シカゴという殺伐とした時代背景の中から、ロータリーは誕生しました。 一旗あげようという思いにかられて、田舎の村や農場から集まってきた善良な人達にとって、更に、貧困や政治的な迫害から逃れて、新天地に自由を求めてやってきた移民達にとって、シカゴは決して住みやすい街とはいえませんでした。大都会に住む一般の人たちが感じる孤独感と阻害感に加えて、ビジネスマンには苛酷な自由競争に敗北する恐怖感が付きまとっていました。逆説的にいえば、そんな環境にあったからこそ、もし、心の通い合った友人たちと巡り合い、胸襟を開いて語り合うために定期的に集まることができたら、どんなに心が安らぐことであろうという発想が浮かんだともいえましょう。 「灰色の都会が無性に侘しい。」「信じ合える友人が欲しい。」同じ思いの人がたくさんいるに違いない。シカゴで弁護士を開業した36歳の青年、ポール・ハリスがロータリークラブを作ることを思いついたのは、罪悪と腐敗の街に住みつつ、その街の中に、彼が少年時代を過ごしたニューイングランドの村で感じた安らぎを取り戻そうとするささやかな実験でもあったのです。<良質の職業人が集って定期的に会合をひらく><同業者がいるとお互いに利害関係が生じて、親睦が阻害されるので、一業種から一人ずつ選ぶ> 最初の会合で決定した[定例の会合]と[一人一業種制]の原則は、90年近くの歴史を通じて、思考体系や管理、運営などが大きく変化する中で、設立以来現在まで大切に守られているロータリー運動を成立させるための必要条件です。 極く普通の街の弁護士を中心に、決して高い学歴の持ち主とはいえない極く平凡な商店主や中小企業の経営者が集って、ロータリークラブが発足したことは特筆すべき事柄です。特に日本では、社会的な地位や事業の規模を重視した会員選考が行われる傾向が強いようですが、本来、ロータリークラブは、エリートと呼ばれる人たちを集めて作った組織ではなく、ロータリー運動を通じてエリートが誕生したことを忘れてはなりません。 [一人一業種制]と[定例の会合]を原則にした職業人の親睦団体として、ロータリークラブは発足しました。ガスターバス・ロアとハイラム・ショーレーは、まもなく脱落しますが、多くのアクティブな会員の参加を得て、初年度会員は12名に上り、その後は加速度的に会員の数が増加していきました。 忙しい職業人の集まりだから、時間励行が約束ごととなりました。チャールズ・ニュートンが昼食に思わぬ時間が掛かって遅刻したことを契機に、どうせ皆昼食を食べるのだから、一緒に食べる方が効率的だということで、昼食会を兼ねることが習慣になりました。例会出席をクラブ活動の根源と考え、四回連続して休むと会員資格を失うことを申し合わせ、更に、初めは二週間に一回だった例会も、「二週間に一回集まれるなら、毎週集まれないはずはない。」という理由から週一回開くようになりました。 会員の事業所を例会場として持ち回る習慣は、会員数増加と共に事実上困難となって、ホテルやレストランで開かれるようになり、やがて固定化されます。親睦にひびが入るほどに白熱した議論の場を和らげるために、ハリ−・ラグルスが歌い始めた唱歌が定着し、徐々に現在の例会スタイルに似たものに変化していきました。(※1996〜97年度 RI第2680地区、田中 毅ガバナー月信第1号より) 1905年(ロータリー誕生)の頃の世界 ●できごと ・1月22日−血の日曜日事件 ・6月7日−ノルウェーがスウェーデンからの独立を宣言。 ・10月17日−津田梅子らが日本基督教女子青年会 (YWCA)を創立。 ・日露戦争 ・3月10日−奉天会戦で日本軍が勝利。 ・5月27日〜5月28日−日本海海戦 ・9月5日−ポーツマス条約の締結で日露戦争集結。同日、日比谷焼打ち事件発生。 ●芸術・文化・ファッション ・アルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表。また同年、光量子仮説を導入。 ・雑誌「ホトトギス」上で夏目漱石の小説「吾が輩は猫である」の連載が開始。 ・奈良県鷲家口で捕獲されたのを最後に、ニホンオオカミが絶滅。 ●誕生 ・1月3日−高松宮宣仁、皇族(+1987年) ・1月16日−伊藤整、小説家(+1969年) ・1月21日−クリスチャン・ディオール、ファッションデザイナー(+1957年) ・2月2日−アイン・ランド、小説家(+1982年) ・2月21日−木村義雄、将棋棋士(+1986年) ・6月21日−ジャン=ポール・サルトル、哲学者(+1980年) ・9月18日−グレタ・ガルボ、俳優(+1990年) ●ノーベル賞 ・物理学賞−P.E.A.レーナルト(Philipp Eduard Anton von Lenard) ・化学賞−アドルフ・フォン・バイヤー(Johann Friendrich Wilhelm Adolf von Baeyer) ・生理学・医学賞−コッホ(Robert Koch) ・文学賞−ヘンリック・シェンキエヴィチ(Henryk Sienkiewicz) ・平和賞−ベルタ・フォン・ズットナー(Baroness Bertha Sophie Felicita Von Suttner) |