相模原グリーンロータリークラブ
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第522回例会週報

521回 | 523回 | 2003-04週報目次
◆レバノン パレスチナ難民キャンプでのアートスクールに参加して
福山茂 会員

 パレスチナ難民キャンプでのアートスクールは、画家の上條陽子先生が1999年からほぼ毎年行っているプロジェクトです。
 私は2002年春、難民の子どもたち5人と今回のアートスクールの現地での責任者ジャミーラさんが来日した際、お手伝いさせていただいたご縁で関わりを持つようになり、作品夏に続いて2回目のレバノン行きとなりました。
 今回のアートスクールは、日本からアート講師6人と通訳・手伝い7人の計13人が参加しました。

← 昨年春来日したヒクマット

(1)アートスクール前半 ウィッサムとマリアム
 アートスクールは前期・後期と分かれて行い、前期は各難民キャンプから絵のうまい青年を選抜して行いました。指導者養成、つまり、ここで身につけたことを各キャンプに帰って、そこの子どもたちに教えて欲しい、というねらいもあります。
 さすがに選抜されて来た青年たちですので、皆ある程度のレベルに達しておりました。
 ここではすでにアーティスト志望で実績もあるウィッサム(23歳)と私が完全に引っかかってしまったマリアム(19歳)のことをご紹介します。

 ウィッサムは近くのナハル・エルバレド難民キャンプから来ていて、このバダウィのセンターの壁画を手がけたり、国連のポスターの原画も描いたり、と実績もあります。リーダーシップも優れ、後半の子どもたち対象のアートスクールでは先生役も務めてもらいました。
 アーティスト志望の彼はとても熱心で始終制作していました。上條先生のご提案で、ベイルートの美術スクールに通える様、奨学金を出すということを、彼とジャミーラさんに申し出たところ、たいへん喜ばれました。
 ぜひ実現し彼の大きなステップになればと願ってやみません。

 さて、私がもっとも引っかかったのが、マリアムという19歳の女性でやはりナハル・エルバレドから来ていました。
 ポスター制作で手を握っている絵を描いていたのですが、太めの線でなかなかしっかりしたデッサンを描くな、と思い、「良い絵ですね。」と声をかけました。
 翌日だったでしょうか、マリアムと同じキャンプの男の子二人が彼女の手を引いて私のところにやってきます。何かな? と思ったらもじもじする彼女からノートを取り上げ、私に渡します。それはマリアムのデッサンノートで、多くの作品を見ることができました。
 ここで完全に引っかかり、彼女の作品に完全に引き込まれました。しっかりと力強いデッサンであるだけでなく、どの作品にもマリアムの作品だと感じさせる何かがある、これは非常に重要なことで教えても教えられない部分なのです。
 2002年3月にジャミーラさん一行が来日した際、子どもたちの絵の展覧会も開催しました。そのときある絵に引っかかったのですが、マリアムの絵を見て、もしかしてあれは彼女の絵だったのでは、とピンときました。(帰国して画集を見るとやはり彼女の作品でした)
 画商的に言うと二度引っかかればフォローすべき、その場ではひいきが過ぎるとまずいので、帰国の日、ジャミーラさんに、彼女はたいへん才能があると思いますので、新しいスケッチブックや画材を渡してください、と$100渡しました。次に会う日まで絵を続けていて欲しい、という私からの願いを込めたものです。

(2)アートスクール後半 展覧会開催その他
 前半終了後、制作した絵の展覧会をセンターで開催しました。これはバダウィ地区長他、多くの来賓と新聞社の取材がありました。(現地新聞五紙に記事として掲載されました。)
 その後後半のスクールへ、これは小学生が対象で50人余りの子どもたちを指導しました。
 レバノンの難民キャンプでは美術教育は一切行われて来なかった、ということで子どもたちが目を輝かせて制作する姿は、何か美術の原点を見ている様で心打たれるものでした。
 この期間中、キャンプ見学にも行き、キャンプで一番有名だという画家のお宅とアトリエを訪問、またキャンプ内にアートギャラリーも見つけました。こんな所でも美術と関わって生きている人がいるんだ、と知り大きな勇気を得ました。

(3)レバノン南部とシャティーラ難民キャンプ
 スクール終了後は、南部のキャンプ、ラシャディエとブルジ・シュマリ、そしてイスラエルとの国境見学に行きました。
 南部のキャンプは北部のバダウィ等と違って、入り口に検問がありやはりものものしい雰囲気です。ラシャディエ難民キャンプはもっとも国境に近く(約15Km)、海に面しています。
 ここでは伝統の舞踊を子どもたちが披露してくれました。踊りや音楽は民族の重要な文化です。それを潰えさせないために大事に大事に受け継がれています。
 ブルジ・シュマリは昨年宿泊したキャンプで、お世話になった方に多くお会いしました。
 ここのセンターは特にパソコンが充実していてインターネットを使った多くのプロジェクトをやっています。他のキャンプの青年と「チャット」を使って話していて、びっくりいたしました。

 

国境近くはこれまた非常に厳しい検問が数カ所ありました。同行したパレスチナの方があそこが私の故郷だ、あそこが誰々の故郷だと、本当に熱を込めて話してくださいます。
 もちろん国境は少し離れて見るだけで近づくことはできません。地雷マークがびっしりで当然軍の監視もあります。


← 国境 向こう側がイスラエル

 現地にいた時は知らなかったのですが、私たちがベイルート滞在中、「ヒズボラ」(レバノンのイスラム教シーア派民兵組織)の活動家がまさにそのベイルートで爆破により暗殺されたということで、それもあってピリピリした雰囲気が増していたのかもしれません。
 蛇足ですが私たちが帰国して数日後、ヒズボラがその報復としてイスラエル側に砲撃、イスラエルもレバノン南部を報復攻撃しています。

 最終日はベイルートのシャティーラ難民キャンプへ、サブラ・シャティーラの虐殺の現場です。三日間で無差別に数千人が虐殺されたという話は本で読んでいましたが、やはり現場で、またその時現場にいたジャミーラさんから話を聞くと、ただただ圧倒されるばかりです。
 集団墓地(といっても野原みたいなところ)の地面を指して、まだ数え切れない人がここに眠っている、と聞くと思わず合掌していました。

← 共同墓地

 今回レバノン滞在が18日間、訪れた難民キャンプが五カ所と密度の濃い旅となりました。上記以外にもいろいろと皆さんにご紹介したいこともありますが、またの機会に編集したビデオを見ていただければと思います。
 また時間の都合上、パレスチナ難民やレバノンの歴史等は紹介しておりません。
 関心のある方は、広川隆一著「パレスチナ 新版」岩波新書をおすすめいたします。

最後に一言。
 現在、ロードマップ、和平か崩壊か、等々パレスチナ問題が新聞紙上、目に触れる機会が増えてきています。しかし残念ながら「レバノンのパレスチナ難民」が話題になることは一切ありません。
 レバノンでは彼らの権利は非常に制限されており(例えば70種類以上の職業に就けない)、パレスチナ難民の中でも失業率、特別困窮世帯の割合が最も高い地域になっています。私の話で一人でも多くの方が彼らのことに関心を持ってくだされば、たいへんうれしく思います。


●ビデオクリップ(約12分)
ビデオをアップしてみました。モデムでもOKです。
なお内容は全く同じですので、お使いのパソコン環境に合う方をご選択ください。

ビデオ(Windows Media Playerのファイル)
ビデオ(Real Playerのファイル)

<ADSL以上の方は ↓ をどうぞ>
ビデオ高画質(Windows Media Playerのファイル)

<参考 レバノンのパレスチナ難民>

 1948年、イスラエルの建国に伴い、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失いました。彼らは、ヨルダン川西岸やガザ地区とヨルダン、レバノンなど周辺に逃れていきました。その時難民となった人々と子孫は、現在380万人を越えています。
 その中でガリラヤ地方など現在のイスラエル北部の町村に住んでいた住民の多くはレバノンに逃れました。しかしレバノンではその後、1975〜90年まで内戦が続き、パレスチナ人は再び戦争に巻き込まれ、多くの犠牲者を出しました。
 特に、1982年イスラエルがレバノンに侵攻した「レバノン戦争」では、南部やベイルートの難民キャンプが破壊され、虐殺事件も起こりました。このときの死者はレバノン人・パレスチナ人合わせて2万人以上とも言われます。PLOがベイルートから撤退した後も、パレスチナ難民キャンプは軍事的な標的とされ、1985年〜87年までの「キャンプ戦争」でも、多くの女性や子どもが犠牲になったのです。
 国連に登録されているパレスチナ難民は38万2973人で、レバノンの人口の約10%にあたります。難民キャンプは12カ所あり、約56%の難民がキャンプ内に住み、その他の難民のほとんどは破壊されたビルや元病院などに住み続けています。
 パレスチナ人はレバノン政府から市民権を与えられていないために、公共の教育、医療施設を利用することができず、教育、保険、福祉、社会サービスの多くを、UNRWAとNGOに依存して生活せざるを得ません。
 またパレスチナ人は多くの専門職を含む70以上の職業に就くことが禁止されており、高収入が得られるような職業にはまず就けません。このためレバノンのパレスチナ難民は、パレスチナ難民の中でも失業率が最も高く、特別困窮世帯指定の割合も最も高い地域となっています。