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相模原グリーンロータリークラブ 第496回例会週報 |
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495回 | 497回 | 2002-03週報目次 |
◆世界がもし100人の村だったら 星野 卓司会員 |
本日は、去年出会いました、とても心に残った一冊の本と、ちょっとした新聞の記事をご紹介しながら、私自身の感じた事を織り交ぜながら、お話ししてみたいと思います。 まず、初めにご紹介するのが、「世界がもし100人の村だったら」という本です。これは、インターネットで広まった電子メールを元に、翻訳家の池田香代子さんがまとめました。2001年12月に発行され、アメリカ同時多発テロの背景を連想させる内容でもあったため注目を集め、2002年9月現在、126万部に達したそうです。 池田さんは、この印税1900万円をアフガニスタン難民のために寄与し、現地での学校作りに協力するなどの支援活動を続けている、とのことです。 この本を読みまして、まず普段、私が直面している、様々なちっぽけな「問題」と、この本の持つ「世界観」とのギャップを強く感じました。 1990年に、イラクがクエートに侵攻し、その後、湾岸戦争が起きました。私は、イラクへの空爆の模様を、丁度ゴルフ場のレストランのテレビで見ていました。イラクが善か悪かの議論は別にしまして、紛れも無くそこで、戦争という殺戮が行なわれた訳です。私は、その模様を、遊びの最中に見ていて、しかもテレビ画面を通してでは、花火が飛び散っている位にしか見えませんでした。私と、そこで空爆を受けていた人々との、大きな状況の差を今、しみじみと感じます。 もちろん、まずこの様な現実を知る事は大切ですが、もう一つ踏み込んで、実際目で見て感じなければわからない事の方が多い、という思いもあります。例えば、パレスチナで今何が起こっているのか、多くの方々のお話を聞きますが実際に現地へ出掛けて、目で見る事に勝るものはない、と言う事だと思います。 相模原グリーンロータリーの10周年記念式典の際に、先週卓話をして頂きました的川泰宣先生から、ご挨拶を頂いた時の事を思い出しました。その日は、宇宙少年団相模原分団の結団式も有りました。的川先生は、多くの子供達の前で、3歳の時、広島市呉市でアメリカ軍から大空襲を受けた際、防空壕から防空壕へ、命懸けで走った模様をお話しされました。まさに、間一髪生き延びる事が出来た、という大変貴重なお話しでした。 幸か不幸か、(あえて「不幸か」と申し上げましたのは、悲惨な戦争の体験が無い、という意味におきまして)私も戦後の生まれです。是非、諸先輩の皆様方、もし戦時中の色々な体験をお持ちでいられましたら、若い人の前でその体験談をお話し頂けたらと思います。それは間違いなく若い人達への貴重なメッセージとなります。 先だって、アメリカ下院で、「徴兵制復活法案」が提出された、という記事が出ていました。現在では志願兵制度が定着しています。もし、徴兵制が復活して、議員の可愛い子供さん達も、戦争に借り出される事になるかもしれなければ、簡単に議会が戦争を容認しなくなるだろう?という意図のようです。その後の経過はわかりませんが、いずれにしましても、人の命が軽く扱われ過ぎています。 本文の内容に戻りますが、「栄養が十分でなく空爆や襲撃や地雷による殺戮や武装集団のレイプや拉致におびえていなければならない」人達のために、何が出来るのかを考え、また新しい時代を担っていく若い人達に、何かを示していかなければなりません。 次に去年の4月11日、読売新聞に掲載されました、日本女子大教授の中村博志先生の「死を通じ生を学ぶ教育を」という記事について触れたいと思います。 新聞記事の冒頭にありましたが、「人は死んでも生き返りますか?」の質問に、34%の小学生が、「生き返る」と答えたそうです。もし、多くの子供達が、この様に「人は死んでも生き返る」と考えているのであるなら、重大な事件に繋がる短絡的な判断が起きる確立も高い、と言わざるを得ません。 私達のクラブ内でも、教育に携わっていらっしゃる方も多いわけですが、大変ご苦労されてる事と思います。何回かお話しを伺いました、五色塾の小川誠先生も、難しい取り組みをされていると思います。ただ、「自分はかけがえのない存在」、という「自尊感情」を学校の先生だけで植えつける事にも限界は有ると思います。むしろ、「あなたは本当に望まれて生まれてきた、かけがえのない存在だ」と言う事と、その事実を裏付ける愛情表現は、親でしか成しえません。もちろん、厳しさも愛情であり、情操教育の最も重要な部分が、そういった行為に基づいているものと考えております。 最近、養護学校の生徒の間で「いじめ」が急増してきているそうです。今までそういう現象は、あまり見られなかったのに、何故?という疑問が湧いてまいります。実は、養護学校の生徒も、親から暴力や虐待を受けているケースも少なくは無いそうです。 ところで、いじめられた経験の有る子供は、自分がされた事、「いじめ」を他の人にもしてしまう傾向が極めて高く有るようです。もし、親から深い愛情を得られないまま、育つ子供が増えるなら?…。大変深刻な問題も増加していくのかもしれません。 中村博志先生の記事の中で、もう一つ興味深いのは「生物のDNAの中には最初から死へのプログラムがかかれている」という見解です。 私はそれを、セミの一生にダブらせました。セミは5年間、土の中で気の根の汁を吸って生き、6年目の夏に地上に現れると言われています。アメリカでは、13年毎に現れる13年セミ、17年毎に現れる17年セミというのもいるそうです。いずれにしましても、地上に出てきて、2週間くらいで死んでしまいます。ですから、その2週間の間に、一生懸命(オスは)鳴いて、相手を探して交尾をして、子孫を残そうと精一杯頑張って一生を遂げます。ある意味において、人間よりも充実した生涯、と言えるかもしれません。セミは、生まれてから強く「死」というものを意識しているかのようで、これがその「DNAの中の死へのプログラム」と言われるものなのかもしれません。 また、これを人間に置き換えてみましょう。人の命も限られてはいますが、「死」というものを普段から意識して生活しているのか、と問われれば、私自身、全くそうではありません。もしお医者様に、「余命2ヶ月です」と宣告されたら、間違いなくこれまでの行動や生活が一変してしまうと思います。そうなれば、あれもこれもしなくてはと…、慌てふためくか、また逆に落ち込んで何も出来なくなってしまうのか、想像つきません。 いずれにしましても、セミ同様に「DNAの中に死へのプログラム」を持ってはいても、残念ながら感じてはいないのです。 更にグローバルな視野で、地球規模の観点で問題を見つめてみたいと思います。 以前、NHKの「地球大紀行」という番組のスタッフが、世界中の300人以上の科学者に取材をし、「地球はあとどのくらいもちますか?」という質問をしたところ、ほとんどの学者が「25年以内」(人類が生存できる環境という意味で)とお答えになったそうです。25年…。今、慌てても限りある人生の中で、どんな事が出来るのか、その責任の重さだけは、強く感じさせられました。
たわいない卓話で、大変申し訳ありませんでした。
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