相模原グリーンロータリークラブ
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第460回例会週報

459回 | 461回 | 2001-02週報目次
◆コラム「大阪宿泊例会奮戦記」小橋会員
コラム<大阪宿泊例会奮戦記>
 大阪宿泊例会代表幹事 小橋雄樹

さて、今年もいよいよ移動宿泊例会の季節がやってきた。私は代表幹事という大役を任命され、まさに身の引き締まる思いであった。その大役の重さのために連日歯ぎしりをしてウーウー唸っていたら、出発前日の夜、前歯が1本折れて失くなってしまったのである。おそるおそる鏡の前に立つと、いつものりりしい顔は無く、何ともマヌケな面が写っている。これは大変だ!このまま明日を向えたらみんなに何とからかわれるか解らない。あわてて白く四角いガムを裏からセロテープで貼ってみたが笑うとユラユラ揺れてダメである。それではと歯の前側にもセロテープを貼って押えてみたが、テープに光が反射してよけい変である。他にもいろいろ試してみたが、所詮付け焼き刃は通用しない。アァ、もう面倒だ、諦めよう。旅行中笑わず、誰とも話さなければいいのだ!とにかく、明日の朝3時に起きなければならない!こんな事をしてる場合ではないのだ。何のために4日前から起床時間をズラす努力をしてきたのだ!こうして私は前日の夜は9時P.Mに床についたのであります。

ところが去年の北海道旅行の時の大遅刻者井上栄次君が今年も遅刻したらどうしよう〜なんてことを考え出したら全々眠れなくなってしまったのである。今日は珍しく女房を外食に誘い、普段見た事もないようなゴチソウをして一生一代の頼み事をしたばかりである。「オレといっしょに9時に寝て朝3時に起きてくれ。」一人ではとても自信が無いからである。なぜなら、私は目覚し時計が鳴ると放り投げてしまうクセがあるからなのである。それで窓ガラスを割ったこともある。女房はもうとっくに眠りについているが、私は井上君の幻影に悩まされてどうにも眠れない。〜はたして私は24日早朝3時にはシッカリと起きれたのである。起きれた≠ニ言うより、寝てないのだから起きていた≠フである。ファ〜ァ、ボーッとしてヒゲを剃る〜「イタッ!」〜なんと鼻の下を切ってしまたようである。ハッとして鏡を見ると、心なしかホホはやつれ、前歯が1本欠けていて鼻からは血が流れ、目は真っ赤に充血している。何ということだ〜まるで思い切り夫婦喧嘩に敗れたみたいだ〜出発前からこんなに疲れていて私は大丈夫なのであろうか?!それでも私は代表幹事である。リーダーとして全員を先導しなくてはならない!羽田集合時刻は6:45A.M 。私のせいでフライトに遅れたりしたらとんでもない。私は4時に家を出、長谷川君、佐藤寅さん、真一さん、清水さん〜と各家を廻り、4時半にはもう相模原を後にしていたのである。去年の北海道ではギリギリでヒヤリとした思い出がある。たしか佐野旅行会社社長も5時A.M過ぎの出発では出勤ラッシュと重なる恐れがあり、ヤバいと言っていた。〜ところが5時半には羽田に着いてしまったのである。佐野にTELしたところ、これから出発すると言っている。何でやねん!佐野ッチどないなってまんねん!!(もう大阪弁になってるところが筆者のスゴイところ)その後、井上君も6時半には顔を見せた。何ダ、早く来たじゃねえか。心配するんじゃなかったよ。まったくよー。しばらくして6時45分には全員が無事に集合完了。佐野君からフライトの説明が始まる。普通ならば自然と円座になるはずなのに、全員が一方向を向いている??佐野君などは背中を向けてみんなに説明しており、何かやたらと不自然である。みんなの目線を辿ると、なんとそこには派手なシースルー服のヤングガールが1人座っていたのであった。まったく男ってヤツは老いも若きも、バカも利口も、太っていようがヤセていようが、足が長かろうと短かろうと、考えることは同じなのである。女性から見たらアキれ笑えるのもうなずける次第なのであります。そのヤングガールも16人のオジサン達がズーっと見つめていることにすぐに気づき、フン!という顔をしてどこかへ行ってしまいました。ハッと我に帰った16人の男達は直ちに円座を作り、そそくさと説明を終え、飛行機へと乗り込んだのでありました。

さて、フライト中、またしても悩み事がひとつ私の頭の中に浮かび上がって来たのであります。今日はこれから大阪のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)へ行き、10時A.M〜4時P.Mまで1日中そこを見学するという予定である。代表幹事としては単に自分が行ってみたいからそこに決めただけなのであるが、これは大きな声で言ってはいけない。しかし今になって考えると、少々心配になってきた。50才〜70才の16人の仲間達はUSJで本当にムジャキに遊んでくれるのだろうか?ジェットコースターなんかに乗ったら、気分が悪くなったり気絶したりするのではないだろうか??清水さんなんかUSJとは何なのか、あまりよく解っていない様子である。私の後ろで佐藤真一さんが「銀行だろ?」なんて言っている。それはUFJでしょうが!大丈夫かな?何かチョッと本気で心配になってきちゃったよ。オイラ〜。

ところが〜である!USJに出場してからはみんなひととき子供に戻った様によく歩き、よく遊んだのである。清水さんも真一さんも笑顔で最後まで楽しまれた御様子。権田大社長様などは、入場時にはブスッとしていたのが、帰る頃には「ネエッ!アレも見たい!ソレも乗りたいヨ〜!!」と私の袖を引っ張りダダをコネる始末。長谷川君に涙を拭いてもらい、なだめられながらバスに向かう彼は本当に一時、子供に帰ったようでありました。〜ここで合掌。〜

5時15分P.Mにはチサンホテルにチェックイン。6時からは近くのずぼら屋≠ニいう所でフグを食べながら例会。そこで私はまた愕然とする。例会に必要なロータリー一旗と点鐘の鐘を持って来忘れた!〜ところが副幹事の小松さんが持ってきてくれたとのこと。小松さんには燃費をくわずに車を走らせる方法≠教わって以来の感謝。

おごそかに例会を終えたあと、フグづくし料理を全員で味わう。こんなフグよりもはるかにうまい相模原フグ料理No,1の店≠ニいう山本さんの自慢話を聞きながら、それでもオイシイ!と感じながら食べる私。山本さんはアワ吹きながら話してるので全々食べれないでいる。エエイ!チャンスだ!私がみんな食べちまおう!!〜終る頃には全員が満腹になったが、山本さんだけが「タコ焼き食いてェ〜!」と言っていたのを私は憶えている。8時P.Mにはずぼら屋≠後にし、誰とはなく第2次例会≠行おう!との声。いつものことである。どうということはない、キャバレーにでも押しかけて1〜2時間程オネエチャン達の大阪弁でも聞こうということである。さて、ここでも佐野社長さんが大活躍!(他のみんなから言わせると大迷惑!)席に付いたオネエチャン達全員に1人1人話して廻っている。アリャリャ、歌まで歌っちゃって!アァ!そんなことしたらロータリアンとしての尊厳が!〜どーでもいいけどこれで割り勘カヨ!!ヒデェジャネェカ〜!みんなアキレてしまい、10時30分には佐野社長のシツコイ誘いにも乗らず、無言でホテルへ帰り就寝。ここでまた佐野厄寄せ大仕≠ノ向かって合掌〜。

(ところで筆者もここまで書いてきてだいぶ疲れてきましたので、以降かなりハショリながら文を進めます。)

翌日(25日)は7時30分A.M起床。朝食を無事に済ませバスに乗り、明石海狭大橋を渡り一路淡路島へ。阪神大震災時出来た地割れ断層の実物を見学し、神戸へ引き返し、南京町で中華の昼食。北野異人館を見学し、大阪空港へ。4:00P.M発5:05着ANAで東京へと帰ってまいりました。帰りは長谷川君に運転をお願いしたのですが、話に夢中になり、道を間違えて磯子まで行ってしまいました。何とか7:30P.Mには相模原に辿り着いたのでありますが、夕食にソバを食べてから解散しようということになり、ソバ屋に入ったのですが、注文してからソバが出てくるまでナント2時間!!ウソォ〜!!結局、我々チームが家に帰れたのは10時P.Mを大きく過ぎていたのでありました。ア〜〜お疲れ様〜〜。

ところが、翌日の朝刊を見てビックリ!!私達のフライトの帰りのフライトの最中に台湾で、225名乗りのボーイングが空中分解して落ちたとか!?ヤッパリ鉄のカタマリが空を飛ぶ、というのは恐いことですよネ〜。モ〜〜ホント〜〜〜〜ニ、オ〜〜〜〜ツ〜〜〜〜カ〜〜〜〜レ〜〜〜〜サ〜〜〜〜マ〜〜〜〜