ロータリー創設から確立までの背景!

<如何に捉えるか?>

1921年1923年

<1922年>

 1922年-(大正11)-ロスアンジェルス大会(6096人)で、かねて懸案の改訂「統一定款及び標準細則」が採決された。1922年6月以後に加盟承認されたクラブはすべて標準定款を採用することが義務化。
 ただしそれ以前に加盟承認されたクラブは、これに準拠する以外、従来の定款の条項を保持した。(RIBI、東京RC等)。
 「国際ロータリークラブ連合会」が「国際ロータリー」と改称される。
 定款・細則の抜本的改正に伴い、綱領も大幅に改正!
 週1回の例会の義務づけ等 運営上の諸点も明確化!R.ヘイブンスがRI会長。

  <メーキャップ "make up"規定等の制定>
  1. 随時決定される国及び地理的地域にあるクラブの出席競争規定が採択される。
  2. メーキャップ制度が設定された。主な内容は以下の通り。
    A 引き続き4回連続欠席のとき(メーキャップしない場合)、自動的に会員資格を失う。
    B メーキャップは欠席例会の前後6日間に、いずれかのRC.に出席必要!
    C クラブ会計年度、前または後のいずれか6カ月間の出席率60%以下では、自動的に会員資格を失う。
    D メーキャップのため、他のRC.に行った時、例会中止・変更の場合は、そのクラブから連絡または本人の申し出により、出席と認められる。
    E 国際大会、地区大会、地区ロータリー情報講習会等は原則として、メーキャップは認められないが、直行、往復する期間中の例会欠席は、出席扱いとなる。
  <新綱領> ロータリーの綱領は次の事項を奨励かつ育成するにある。
  1. すべての尊ぶべき事業の基礎として奉仕の理想
  2. 実業および専門職業の道徳的基準を高めること
  3. ロータリアンすべてがその個人、職業生活および社会生活に常に奉仕の理想を適用すること
  4. 奉仕の機会として知り合いを広めること
  5. あらゆる有用な職業は尊重されるべきであるという認識を深めること、そしてロータリアン各自が職業を通じて社会に奉仕するためにその職業を品位あらしめること
  6. ロータリーの奉仕の理想に結ばれた実業人と専門職業人の世界的親交によって、理解、親善と国際間の平和を増進すること
 英経済学者のJ.M.ケインズの著書「平和の経済的帰結」がセンセーションを巻き起こす。
 オランダ・ハーグに常設国際司法裁判所が発足。
 エジプトが独立宣言、フアード一世が国王となる。独で破滅的なインフレ!
 米海軍備蓄石油施設の払い下げをめぐって「ティーポット・ドーム・スキャンダル」汚職事件発覚、1931年に主犯のフォール内務長官に実刑判決。
 独ソがジェノバ近郊のラパロで電撃的に条約締結(外交樹立、賠償相互放棄)。
 シカゴで要人暗殺計画が発覚、警察は労働運動指導者150人以上を逮捕。
 米鉄道労働委員会が13%の賃金カット!労働者側が拒否、7/1から40万人
 が参加、ひと夏続く大ストに入る。米・経済復興期に入る。オスマン帝国滅!
 米・ヴァージニア州ブラックストーン付近に20トンの大隕石が落下する。
 米・大統領ハーディングがフィリピンのケソン代表と会談、独立要求を拒否!
 20才になったばかりの、イタリア移民の子'ジーン・サラゼン'が全米オープンゴルフに優勝する!
  米・フォードニー・マッカンバー関税法成立
 米・ケーブル法成立!(米人女性が外国人と結婚しても国籍は消滅せず)
 ジョー&ルイのコルネットがシカゴにジャズの熱気を吹き込む!(絶頂期)
 → それまでアメリカを支配してきた勤倹と禁欲のピューリタニズムは、この時まぎれもなく新しい文化の挑戦を受けた。
 ソビエト社会主義共和国連邦の樹立が宣言される(レーニン主導)。
 アイルランド自由国が正式に発足、紛争に一応の終止符が打たれる。
 有島武郎が狩太農場の所有地400町歩を小作人に無償提供する。
 賀川豊彦が「死線を越えて」の印税の一部を基金に、大阪労働学校を開校!
 ライト設計の帝国ホテルが完成。団琢磨など財界主脳提唱で日経連設立さる。

※ 同業組合における遵守基準
 1922年に米国コロンビア地区のワシントンで全米レストラン組合の大会が開催されたが、ロータリアン、ガンデーカーは同組合の要請を受けて、同大会の審議にかけるために、組合の守るべき戒律案を起草した。
 レストラン組合はこの原案を受け入れて、この新たに提案された遵守基準を採択した。
 この遵守基準はやがて多くの他の同業組合や専門職業人の団体もこれにならった、いわば雛形になったのであった。そしてそれはさらに米国だけではなく、他の国々においても同様であった。百以上にものぼる遵守基準が書かれたのである。 ( ROTARY MOSAIC 、67Pより )

※ 理論派と実践派の対立
 対社会的な奉仕が、ロータリーの中で市民権を得るようになったものの、今度はその[奉仕]のあり方をめぐって再び熾烈な論争が起こりました。
 ロータリアンの心に[奉仕の心を形成]することがロータリー運動の本質だとする理論派と、[奉仕活動の実践]こそロータリアンの使命だとする実践派との論争です。
 ロータリー運動を[奉仕の心の形成]として捉えた理論派は、ロータリークラブの使命は、ロータリアンに[奉仕の心]を形成させることであり、ロータリアン個人個人が、He profits most who serves best と Service above  self の心を持って、自分の職場や地域社会の人々の幸せを考えながら、職業人としての生活を歩むことであると考えました。
 すなわち、クラブ例会で会得した高いモラルに基づく[奉仕の心]で事業を行い、その考えを業界全体に広げていくことが、全ての人々に幸せをもたらし、それが地域社会の人々への奉仕につながることを確信していたのです。
 もし、職業奉仕以外の分野で、奉仕に関する社会的ニーズがあれば、夫々の会員が個人の奉仕活動として実施するか、自分が属している職域や地域社会の団体活動として実施すればよいのであって、クラブはあくまでも、どのような社会的ニーズがあるのかを提唱するだけに止めるべきである。
 社会奉仕に関しては、ロータリークラブが実施母体になるのではなく、そのニーズを世に訴え、それに対処する運動が盛り上がるような触媒として機能すべきである。
 どうしても、地域社会に何かしたいのならば、職業上得られた Profits から個人的に行ったらよい、という考え方でした。

 これに対して、[奉仕活動の実践]に重きをおく実践派は、現実に身体障害者や貧困などの深刻な社会問題が山積し、これまでにロータリークラブが実施してきた社会奉仕活動が実効をあげていることを根拠に、理論派とことごとく対立しました。
 実践派から見れば、奉仕の機会を見出して、それを実践することこそロータリー運動の真髄であり、単に、奉仕の心を説き奉仕の提唱に止まる理論派の態度は、責任回避としか写らなかったのです。
 全米の多くの地方クラブが障害児対策に熱中し、他の奉仕活動はそっちのけで社会奉仕即障害児対策と競い合い、さながら福祉団体か慈善団体の様相を呈しているというのが、当時の実情でした。
 [奉仕の心の形成]と[奉仕の実践]の論争は、個人奉仕と団体奉仕、さらに金銭的奉仕の是非にまで発展して、綱領から社会奉仕の項目を外せという極論まで飛び出すほどの、激しい対立が続きました。
 最終的には、エドガー・アレンとエリリア・クラブに代表されるような、多額の金銭的支出を伴うクラブによる団体奉仕を、ロータリーの Community Service として認めるか否かが議論の中心になりました。
 ロータリーの思考体系には、その原則を崩せばロータリー運動を成立さし得ない必要条件と、ロータリアンやクラブの考え方や行動に対して、その立場と善意を尊重して、容認することができる充分条件があります。
 奉仕の実践は、将にこの充分条件の分野に入る事柄であり、従来から行われている色々な Community Service の考え方や行動を調和させることが、是非とも必要でした。
 ロータリアンが遵守すべき基本としてロータリーの綱領が定められていたものの、これはロータリアンを対象としたものであり、クラブを規制するものではなかったのです。
 相異なる二つの考え方を、ロータリーの寛容の精神の下で調和するために、当時の理事会は高等戦術ともいえる微妙な試みをしています。
 1922年、RI理事会はエリリア、トレド、クリーブランド各クラブより共同提案を受けて、決議 22-17 を採択しました。
<ロータリアンが身体障害児に対する関心を示し、かつ彼ら障害児に身体的矯正や外科的治療を施すことが有効な場合には、これを援助したいという意欲を表明していることに鑑み、RI第13回大会は、各ロータリークラブが行っているかかる人道的活動を賞揚し、且つ本大会に出席している各代表者に対し、この問題に関する注意を喚起し、またこの運動が各クラブの地域社会に於ける奉仕の機会を提供するものであることを、それぞれのクラブに認識させるように決議する>。
 しかし、この決議を行った直後に開催された理事会では、理論派の立場を考慮してか、これと全く相反する次のような決定を行っています。
<RIは世界各国の身体障害児問題が重要であることを認め、各ロータリークラブの会員が何らかの形で身体障害児救済の事業に関係することを喜ぶであろう。然し、RIは気のりしないロータリアンにこの種の事業に関係することを強制することは望ましくないと信じている。
 RIはまた、ロータリークラブやロータリー会員が、身体障害児救済事業のような立派な仕事でも、これに全く夢中になったために、ロータリークラブの真の役割が忘却され、ロータリーの基本的で特色ある目的が見失われ、または忘れられるならば、それは望ましいことでもないし、またロータリー福祉のためにもならないものと考えている>。
 理事会の態度は更に三転四転し、1923年のセントルイス大会において「決議 23-8 障害児並びにその救助活動に従事する国際的組織を支援せんとする障害児救済に関する方針採択の件」という、とんでもない決議を提案する姿勢を示しました。
 これは積極的に身体障害児対策を推奨するために、国際身体障害児協会の仕事をロータリーが代行し、その費用を援助するために、RI中央事務局が年間1ドルの特別人頭分担金を徴収することを定めたものであり、もしも、これが決議されれば、理論派の反論の上に、クラブ自治権の問題までもが加わって、収拾がつかない状態になることは必至でした。
 これに反対したシカゴ・クラブのウイル・メーニア、ラッフス・チョピンたちは、「駱駝がやってくる」と称する一大反対キャンペーンによって、セントルイス大会の代議員たちを説得しました。
 その結果、ウイル・メーニアとポール・ウエストバーグによって提案された決議 23-34の成立と引き替えに、同決議は撤回されることになって、この論争に終止符が打たれることになったのです。
 決議委員の指名を受けたメーニァとウエストバーグは決議 23-34をたった2日で書き上げ、この1,000語からなる決議は直ちに大会で皆に披露され、一言の訂正もなく採択されました。 

 [決議 23-34]の原文には、[綱領に基づく諸活動に関するロータリーの方針]というサブ・タイトルがつけられ、ロータリー運動全般にわたって、奉仕の実践をめぐる、個人奉仕か団体奉仕かに対する長い間の論争に終止符を打つものであると同時に、RIとクラブとロータリアンの機能を明確化し、ロータリアンとクラブが行うロータリーの諸活動に関する根源的な指針となるものでもあります。
 なお、ロータリーの綱領がロータリアン自身に対する目標設定であるのに対して、この決議は主にロータリークラブを対象としていることが特徴です。
 (「ロータリーの源流」、田中毅PG 作成より抜粋)