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<ブラジル留学の報告書>
青少年交換学生 岡村孝子(県立弥栄西高校)

2002年9月19日

 今日は9月の19日(グリーンの皆さん、すみません!本当に遅くなってしま って)。さて、私が日本に帰ってきて、まだ一ヶ月しか過ぎていない。なのに 「私のブラジル生活」はもう遠い昔のことのだったような気がしている・・・

 私が帰国してから、昨日で丁度一ヶ月になる。帰国してからは遊びに、学校行 事に、そして進路ことなど、あれこれ考え「すっとばした毎日」を送った。そ れだからかもしれないが、帰ってくる前には、自分があんなに帰るのを怖がっ ていたのがバカみたいなほど、すぐに自分の「普通の生活」に戻れた。最近も 毎日が楽しくてしょうがない。

 ブラジルが嫌いというわけではなく、むしろ大 好きだが、さりとて今すぐ戻りたいとは思っていない。(日本に戻った直後は 思っていたが!)一年も日本を離れると、今度は『日本が恋しくて、恋しくて しょうがなくなっていた!』ので、今はそれを埋めるので一生懸命だからだと 思う。私のブラジル生活を一言で表すのなら「楽しかった!・・・」になる。 そう、確かに楽しかったが大半を占めているが、その影にやはり留学でしか味 わえない苦労もあったりした。その苦労を乗り越えられたこと、さらに楽しい 思い出がたくさんできたこと、そのようなこと全てが、私一人でやってきた成 果だとは思っていない。一番私のことを考え、協力してくれた私の「たった一 つのブラジルの家族」、ブラジルの学校の先生や生徒、グリーン・ロータリー クラブの皆様、弥栄高校の先生や友達、そして私の家族…. あげていったらき りがないが私は今、私を助けて下さった人達全員に、心から感謝している。

 よく人は私に「一人で行くなんてすごいね!」と言うが、私がこの留学の一年間 で、「私は独りぼっち!」と感じたのは、行きのサンパウロに向かう飛行機の 中ぐらいで、あとは逆にいつも「私は一人じゃないんだ!」と感じていた。孤 独を感じるどころか、むしろ私のもうすぐで18年になる人生で、一番いろい ろな人達に出会い、そして助けられた一年だったと思う。そのいろいろな人達 が私にやってくれたことを、間接的ではあるけれども、これから恩返しをして いこうと思っている。

 ブラジルに行く前は私の持っていたイメージが抽象的す ぎて、「どういう国なのか?」あまりよく解っていませんでした。そのため人 が「ブラジルはこうなんだって!」と言えば、すべて疑いもせず、まる飲みし てそう思い込んでいた。しかしほとんどの人は大雑把に、口伝えでそういう知 識を得た人達だったので、実際には「そうではなかった!」ということもしば しば。行く前までは一番心配していた"治安面"も、そこまでというほどひど くはなく、一回もスリや盗難にあわずにすんだ。もっとも自分でそれなりに気 を付けていたというのもあるが、一番は私のことを厳重に守ってくれたホスト ファミリーのおかげだと思っている。ところで私は、ブラジルよりもむしろ"今 の日本"がよそのことを言えないくらい危なくなってきていると思う。帰って きてびっくりしたのが、学校での盗難が確実に増えていること、そして街中で 防ぐにも、どうやって防げばよいのかわからないような異様な事件が増えてい ること!だから今の時代、ブラジルだから特に危ないということはないと思う。 今は、「どこの国もそれほど安全ではない」ということ。もちろん日本もその うちの一つだ。

 ただ、ブラジルよりも日本の方が‘国的に豊か’だった。日本 は経済格差は小さいし、あったとしても僅かで、ほとんどの人が中産階級だ。 それに比べればブラジルは、貧富の差が大きい、大きい!私を一年間お世話し てくれた家庭はその中でも丁度まん中、いわゆる「一般庶民の家庭」だ。日本 の私の家と同じくらいの「位」なので、文化や習慣の違いを除いては、日本の 自分の生活と同じレベルの生活をしていた。だからかどうかは判らないが、こ の家庭は私にはピッタリで、最高の私のホストになってくれた。

 ブラジルでは 留学生の半数くらいはロータリアンの家庭にお世話になっていて、私もそのつ てで何人かの家に遊びに行ったが、そりゃまた「びっくりするほどのお金持ち」 の家に行ったりもした。すごく、ものすごく大きな別荘を持っていて、そこに ヘリコプターまで持っている家。家が凝りにこって複雑構成で、家の中のかざ り物も、すべてブランド品でありそうなゴージャスな家。なんと高級車を5台 も持っている家など日本では一回も会ったことがないようなお金持ちの人達に 会ったりした。その一方、道や駅には履く靴にも困っているような人達がいた りして、その差は一目瞭然だ。車の信号待ちをしている時に、幼い子供達が車 に寄ってきて、いろいろな物を売っている光景!日本では考えられるだろう か?同じブラジル人でも、目には見えない階級にはっきりと区分けされている。 極端な貧富の差について、お金持ちや一般庶民の人達は全く政府のせいにして、 私にはその人達が、その問題から少し逃げているように思えた。知らんぷりを している人達が多すぎるのだ。貧しい人達は貧しい人達で、持てる人達に助け てもらうのが当たり前だと思っていて、「自ら働いて生活を良くしよう!」と する人が少ない。もっとも、サンパウロでは、市の協力で貧しい人達の家 ( Favela )が徐々に減少しつつある。今や市内では「‘お腹が空き過ぎていて 死にそう’ という人はもういない」と言われるくらい食料の供給が行き届い て、状況は徐々に、徐々に良くなってきているそうだ。まだ時間はかかりそう だが、いつかはこのFavela という存在もなくなり、この極端な貧富の差もなく なるだろう。

 話がとびとびになってしまうが、私はブラジル人から「ブラジル の何が好きなの?」とよく聞かれていた。そしていつもの私の答えは「食べ物 と人(国民性)」だった。食べ物が美味しいということは、私のこの体型を見 てもらえばすぐに納得できると思うが、「人」と言ってもたぶん「どのように 良いのか?」と疑問を持ち、想像もつかないのではないか?きっと皆さんのブ ラジル人に対するイメージといえば、「みんなが底抜けに明るい」というもの ではないのか。確かにそれも大当たりなのだが、それだけではない。ほとんど の人達は誰に対しても、例えそれが見知らぬ人であったとしても、とにかく「親 切」なのだ!人が困っていたら、「おせっかい」というほど皆助けようとする。 (なのにどうして貧困層に対して、政策的に援助がなされにくいのかが不思議 だが!)私も何人の見知らぬ人に助けてもらったかわからない。そしてそれに 慣れてしまった私は、今、見知らぬ人にでも気楽に声をかけられるようになっ た。これは日本では怪しい人だと思われてしまうかもしれないが?とにかく私 はそのような性質を持っているブラジル人が大好きだ!日本人にとっては抵抗 があるかもしれないが、ブラジルでの挨拶が「ほっぺにチュー」というのでも わかるように、人と人との関係がすごく近い。私ももちろん最初はすごく抵抗 があったが、今となっては慣れ、そして気に入ってしまった。日本に帰ってか らは、ほとんどそれがないので、すごく物足りない感じがしている。だからと いって日本でやったら逆セクハラになるのでやりたくてもできない。

 いろいろ 触れたが、本当にブラジル人には、こんな紙三四枚では、書ききれないほど良 いところがたくさんある。もちろん「ブラジル人だから絶対にそう!」という ことではないが、ほとんどの人がそうだ。今回の報告書にはあまり具体的な私 のブラジル生活については書かず、私が「"ブラジル"と聞いて、みんなに知 ってもらいたいこと」を書いた。もしもご期待にそっていなかったらすみませ ん。最後にこの一年間いろいろと私の大きな力になっていただき本当にありが とうございました。以上