相模原グリーンロータリークラブ
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第558回例会週報

557回 | 559回 | 2003-04週報目次
◆あなたも明日は裁判官 −裁判員制度の概要について−
伊藤 信吾 会員

 先般の、国会で、裁判員法が成立し、日本でも、裁判員というかたちで、刑事事件の事実認定に市民が関与することになりました。そのことについてお話いたします。

 まず、映画のお話ですが、ヘンリー・フォンダが主演した「12人の怒れる男」というアメリカ映画があります。これは、陪審制の物語で、映画の進行がたった一つの陪審員室でのみ行われ、その議論の過程が映像になっている物語です。ヘンリー・フォンダ以外が、全員犯人の有罪を主張する中で、ひとりひとりをヘンリー・フォンダが説得していき、最後は、全員一致で無罪の評決となるという話です。アメリカの良心と正義を体現した映画だと言われています。

 一方、古畑任三郎というテレビドラマの脚本家である三谷幸喜氏が脚本を書いた「12人の優しい日本人たち」という日本映画があります。こちらは、もし、日本に陪審制が導入されたらどうなるかという観点から、コメディータッチで書かれています。特に始まり部分が面白いのですが、若い主婦が夫を殺害したという話なのですが、夫が悪い男で、可哀想な妻であったのは間違いないのですが、その場にいた全員が「奥さんが可愛そうだから無罪でいいよね。」という話をするところから始まるんです。情緒的な判断にながれてしまいがちな日本人の体質を良く表現していると思います。

 このように、理性と議論のアメリカで生まれた陪審員という制度が、情緒の根回しの日本社会に、裁判員という形で導入されようとしています。
果たして、裁判員制度が日本に根付くかどうかが問われています。

 それでは、裁判員法の概要について、ご説明いたします。

 裁判員法案は、5月21日に参議院通過して成立しました。国民の司法参加の推進という趣旨を持っています。施行は平成21年(5年後)で、その間、法制度の整備をし、国民に啓蒙活動等がされることになると思います。

 裁判員として裁判に参加することが国民の義務であることになります。試算ですと、年間12万人が選任されるということですから、年間で、500人に1人が裁判員になるということです。
 裁判員は、選挙人名簿から無作為抽出で選任されることになり、選ばれたら病気等の事由がない限り、断れないことになっています。対象事件は、死刑が規定されている犯罪や、殺人等の重大事件となっています。

 審理は、裁判官3人、裁判員6人の合計9人で行われます。事件によっては、裁判官1人で裁判員4人というのも可能だそうです。この中で、多数決が行われます。但し、審理については、裁判官あるいは裁判員の両方のうちの1人が賛成していることが必要だそうです。アメリカの陪審員制度は、多数決が基本ですので、そこは違っています。

 また、陪審員制度と大きく違うのは、量刑の判断についても市民に委ねられている点です。陪審員制度は、事実の認定は市民が行いますが、その量刑は裁判官がしております。日本の裁判員制度は、量刑についても、裁判員の参加のもと行われることになるのです。 裁判員が導入されることで、審理の内容にも変化が生じると言われています。裁判員の方をそれほど長期間にわたって拘束することはできないでしょうから、事前準備、争点整理が徹底されていくだろうと思われます。

 我々の弁護活動についても、変化があるかと思われます。身振り手振りを駆使したり、涙を流して弁論をしたりして、裁判員の方々の情に訴えることが必要になるかもしれません。

 裁判員制度の問題点は、国民の義務が加重なのではないかと言われている点です。裁判の過程で知り得たことを開示すると守秘義務違反に問われ、厳しい罰則があります。

 長島茂雄が殺人の被疑者となったら、裁判員の方々は冷静に判断ができるものでしょうか?アメリカでは、OJシンプソンというフットボールの英雄が刑事事件では、無罪となった後、民事の損害賠償事件では、有罪になったこともありました。
 実際のところ、世論調査の結果60%が、裁判員となることについて拒否反応を示しているとのことです。義務が加重だからでしょうか。

 さて、それでは、次に「グリーンロータリー殺人事件」というテーマで、事実認定とは何かについてお話をしましょう。

 グリーンロータリー殺人事件の概要ですが、大変申し訳ございませんが、被害者は、井上栄次会員です。
 事件の概略ですが、深夜の工事現場で、背後から、頭をスコップで殴打され、そのまま出血多量で死亡。もみあった様子あり。スコップは現場に放置されたものです。
 犯人は、お名前をお借りして大変申し訳ございませんが、小橋会員でした。

 小橋会員は自白をしました。「飲み屋で口論になって、ついかっと来て喧嘩になったんです。世界大会以来、どうも仲が悪くて…一度ガツンととっちめてやろうとおもっていたんです」「工事現場に連れ込んで殴り倒したら、つかみかかってきたんで、突き飛ばしたところ、現場にスコップが落ちていたので、殴りつけたんです。頭にあたるかな…と思ったけど、まさか死ぬとは…」という状況です。

 しかしながら、小橋会員は、「私、殺す気なんかなかったんです!ただ、とっちめたかっただけなんですよ」と供述し、殺意を否認しました。
 ここで、問題なのは、殺意が否認されると殺人罪ではなく、傷害致死罪となってしまい、量刑にも重大な影響を与えるのです。

 ここで、殺意とは何かをお話します。
 殺意と言われているものには、確定的殺意即ち「殺してやる。」という断定的な殺意と、未必の殺意即ち「死ぬかもしれないが、それでも構わない。」という二つの殺意があります。これに対して、過失というのは、死ということを全く考えていない過失と、その他に「死ぬかも知れないが、まさか死なないだろう。」という認識ある過失との二つがあるわけです。
 殺意には、確定的殺意と未必の殺意とがあるわけです。

 さて、グリーンロータリー殺人事件の方ですが、目撃者の証言を見てみましょう。
 まず、小林会員ですが、「心配になって、二人の後をつけていったら、工事現場でつかみ合っていたよ。そのうち、小橋さんがスコップの面の部分で、井上さんを殴って、倒れたところをまた殴っていたよ。こわいなあ」「でも、その後、小橋さんは、心配そうに、井上さんを抱きかかえていたよ。小橋さんが、私に救急車を呼んでくれというから呼んだんだよね。殺すつもりはなかったんじゃないかなあ」と証言しています。

 次に、福山会員ですが、「だけど、ほんとは、小橋さんは、井上さんに借金があって逃げ回っていたらしいよ。殺すつもりがないなんてほんとかなあ。飲みながら「殺してやるって」言っていたし」と証言しています。
 これらの、証言や事情をもとに殺意の有無が判断されます。小橋会員には殺意はあったのでしょうか?

 殺意の判断要素としては、「自白があるか」「犯行準備の有無」「動機の有無」「凶器の有無」「凶器の性状、使用方法」「攻撃の部位」「攻撃の程度」「攻撃の回数」「犯行中のやりとり」「犯行後の行動」などが、あげられます。刑事事件の事実認定とは、このように技術的な要素が大部分です。情緒的に決められるものではありません。

 小橋会員の事件で、殺意ありと思われる状況としては、1)動機有り(福山会員の証言を正しいとすると)、2)凶器はスコップ 3)2回殴る、しかも頭部 4)殺してやると言っていた。などの事情があります。
 これに対して、殺意をなしとする事情として、1)自白がない 2)スコップは用意したものではなし 3)自分で救急車を呼んでいる 4)スコップの角ではなく面の部分で殴る、などの事情があります。

 それでは、私見ですが、私は、今回の事件は殺意がありと考えます。スコップで、2回も頭部を殴打する行為は、それ自体、死に至る危険性が高いものであり、少なくとも未必の殺意はあったと思われるからです。

 この点、小橋会員は殺意を否定していますが、それは小橋会員が嘘をついているというよりも、殺害行為は、異常な審理状態で行われるため、計画的な殺人でないかぎり、明確な殺意というのを意識していないことがほとんどだと思われ、客観的な行為の危険性で判断すべきであると考えるからです。

 かように事実の認定というのは、技術的なものであり、情緒的な判断ではありません。 裁判員制度の導入により、根回し的な日本の風土が変化して、紛争社会化となるかどうかは解りませんが、我々の文化に確実に影響を与えていくものと思っています。
 ご静聴ありがとうございました。