相模原グリーンロータリークラブ
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第503回例会週報

502回 | 504回 | 2002-03週報目次
◆スイカの歴史
亀井 会員

<スイカの原産地>
 一説に、スイカの原産地は熱帯アフリカ南部、現在のボツワナ共和国、カラハリ砂漠とされており、その誕生は2500万年から3000万年にさかのぼると言われています。
 1857年のイギリスの医療伝導者リビングストーンがアフリカ探検の際、南アフリカ中央部、周辺サバンナ地帯で、様々なスイカの野生種を発見し、果肉が白く苦いものが栽培種の祖先であろうとしました。しかし、野生種は南、北アフリカから西南アジアにおよんでおり、これらの中には苦みの強いものから苦みのない甘いものまで変化に富んでいました。

<栽培の歴史>
 栽培の歴史は紀元前5000年位から始まったといわれるアフリカの古代農耕文化の発達ととも各地に広まり、エジプトからインド、ギリシャにまで及んでいます。
 特にエジプトでは4000年以前の壁画からスイカの栽培が実証されており、種子を食用としていたらしい。このエジプトから東西に分かれて世界中に広まって行ったと考えられています。

<西へ向って>
 ギリシャには3000年前に、ローマには紀元初期に入り、地中海沿岸で栽培されているうちに果物スイカに発達したようです。
 ヨーロッパ中部から西部には16世紀、イギリスに入ったのは1597年とされています。
 アメリカにおける栽培の歴史は、17世紀にヨーロッパからの移民によってもたらされ、初めて1629年にマサチュ?セッツに、そして1664年にフロリダで栽培されたという記録が残っています。

<東へ向って>
 アジアそして、地中海からインドまで分布し、中央アジア、中近東などの内陸乾燥地帯を中心に発達し、インドで栽培が広まった後に東南アジアへ伝わった。中国へは11世紀頃に、トルコ人が中央アジアから天山南路を通って伝えたとも言われています。

<日本への渡来>
 日本のスイカの起源について、正しい時代考証は困難とされています。一説には天正7年(1579)に、ポルトガル人がカボチャと同時に種子を長崎に伝えたといわれています。また、一般的には日本へは寛永年間(1624-1643)に渡来したといわれておりますが、慶安年間(1648-1652)に隠元禅師が中国から携えてきたともいわれおります。恐らく、この時代に中国や南方からたびたび持ち込まれていたようです。

<美味しいスイカの選び方、食べ方>
 「果物屋、スーパーの店頭で売られているスイカですが、どうすれば甘くて美味しいスイカを見つけることが出来るのでしょうか?」
 スイカ一玉まるごとだったら、果物の中身がどんなのか、切ってみないとわからないですね。
 スイカを叩いてみて音と手ごたえで、スイカの中身の状態を判断することができます。  もう熟れてしまっているスイカは「ボテボテ」と鈍い音がします。これはスイカの中がたな落ちして、空洞ができています。
 また反対に若すぎるスイカは「ぴんぴん」と高い音がします。ちょうど食べ頃というスイカの音は「ポンポン」と非常にいい音がします。しかし、やっぱり甘さは実際に食べてみないとわかりません。
 「おいしい食べ方は…?」  夏に冷えたスイカをガブガブと食べるのが一番おいしい。
 でもスイカの甘さとシャリ感を味わうのは冷やしすぎはよくないということです。15℃くらいではないでしょうか。

<スイカの栄養価について>
 「日本の夏の風物詩」、「夏の果物の王様」などと親しまれいるスイカですが、
▼栄養的には
可食部の成分、95%が水分(果汁)で、このうち4?6%が糖分です。
▼その内訳は
ブドウ糖1.57%、果糖5.03%、ショ糖0.98%であり、残りの90%以上が還元糖となっています。
▼ビタミンA(β?カロチン)、B1、B2、Cの他、カルシウム、リン、鉄、カリウム等のミネラル類、グルタミン酸やアルギニンなど、多くの成分をバランスよく含んでいます。
▼また、スイカの種子にはリノール酸やタンパク質が非常に多く、ビタミンB群やEが豊富に含まれています。
▼果糖やブドウ糖はエネルギー転換が速やかなので、夏の炎暑で疲れた身体を癒すにはスイカを食べると即効性があります。
▼水分も多くのどの渇きを潤し、豊富に含まれているカリウムなどとの相乗的な働きにより、身体に涼を呼び、爽快感を与えます。