相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第449回例会週報

448回 | 450回 | 2001-02週報目次
◆卓話「」小林会員・霧生会員
<青少年交換委員会とプログラムについて>
 小林 信二朗

 今日の卓話は、私が去年は、地区の委員、そして、アメリカに留学した小林貴恵さんのカウンセラーとして、また、今年は受け入れ交換留学生のジョン・スンラクのホストファミリーとして係わった青少年交換委員会およびそのプログラムについてお話しします。
 青少年交換委員会とは、ロータリーの提唱する4つの奉仕、「クラブ奉仕」「職業奉仕」「社会奉仕」「国際奉仕」のうちの、4番目に挙げた「国際奉仕」の中の「国際青少年計画」-青少年交換プログラム-を遂行する委員会です。このプログラムは、高校生の年齢層の優秀な青少年を海外に派遣し勉学させ、また他国の文化を吸収させることによって、世界理解を推進させることにあります。毎年、70ヶ国以上の国々の7,000人以上の交換留学生が国境を越えています。その目的は、世界平和を永続させる重要な鍵を握っている若い人に、今、国際性を身につけさせ、生涯にわたる奉仕の精神を培うことを奨励する事にあります。
青少年交換委員会の活動内容は、大きく分けると
1.派遣学生に関する事項
2.来日学生に関する事項
3.地区内クラブに於ける本プログラムの理解推進
の3項目になります。
 具体的な活動内容は、派遣学生に関しては、
1.派遣学生の募集及び選考
2.派遣学生のためのオリエンテーション
3.派遣学生保護者のためのオリエンテーション
4.結団式、解団式の遂行
5.派遣学生の渡航の手続き、(これに関しては、近畿日本ツーリストに依頼しています)
そして、来日学生に関しては、
1.来日学生のためのオリエンテーション
2.ホストクラブ(特にカウンセラー)へのオリエンテーション
3.スクールカウンセラー会議の開催
4.歓迎会、歓送迎会の開催
5.ロータリー以外の国際交流イベントへの参加の推進及び手続きなどです。また派遣、来日学生共通のプログラムとして他地区と合同で、日光研修旅行、歌舞伎鑑賞会、富士登山を行っています。
 派遣留学生の募集及び選考については細かな規定がありますが、ここでは、交換留学生の選考基準についてのみ紹介しておきます。
1.明朗快活であり、積極性、強調性を備えていること。
2.成績優秀であること
3.語学力は問わない(英語ではなく、受け入れ国の言葉)
4.精神力忍耐力があること
5.日本人として、ロータリーの交換留学生として、礼儀正しく品行方正であること
6.人に好かれる性格であること
 とこれ以上はいうことがないほど素晴しい基準で選ばれています。さて、そうして選考された、高校生を受け入れ国のロータリーのホストクラブに送り出し、またそれぞれの国から選ばれてきた留学生を先ほどあげた内容にそって世話をするのが、委員会の仕事です。
 私は、昨年は当グリーンクラブがホストクラブとなって、アメリカのイリノイ州モートンに送り出した小林貴恵さんのカウンセラーでしたが、これについては、特に大変な仕事はなく無事に送り出し、一年後には成長した元気な小林さんを見ることができました。また、この年は地区の青少年交換委員でしたので、受け入れ留学生と接し、いくつかの行事で行動を共にしました。なかでも、交換留学生参加の大きな行事の一つ、日光研修旅行に付き添いましたが、率直に言ってこれはなかなか大変でした。大勢の若い人と動き回り、楽しい2日間を過ごすだけのことですが、結構生意気な高校生を相手に、無事に、楽しく、有意義にと、修学旅行の引率の教師の苦労が分かった気がしました。さて、夜は温泉に入り、浴衣に着替えて宴会をしたのですが、飲むのはお茶だけ、こんな経験も初めてでした。
 1年間青少年交換委員をして感じたことは、ロータリーの奉仕活動の中でも、世界の様々の国の若い人たちが感動し、成長していく姿に直にふれることが出来る、充実したやりがいのある委員会だということです。
 しかし、この委員会のプログラムを実行する大変さとやりがいを、強く感じたのは、韓国のジョン・スンラクを受け入れた今年だったと思います。この交換留学生のプログラムは多くのロータリアンが、それぞれに大切な役割を担って、実行されているものですが、やはり、受け入れるクラブの体制が何より直接に留学生に係わってくるものです。日本のロータリーとして今回初めて韓国の留学生を受け入れるホストクラブとなったグリーンでしたが、私としては、本当によい結果を残すことができたと思っています。それは、今までおそらく日本という国を身近に感じたことのなかった韓国の青年ジョンが、日本を、そして日本人を好きになり、その上しっかり日本語を学び、たくさんの友達を作って、ロータリーに感謝の言葉を残して帰国したことです。今回、私は、宮崎さん、恩田さんとともに、ホストファミリーの役を引き受けましたが、カウンセラーの小川さんはじめ多くのグリーンのメンバーそれぞれが出来ることをしてこのプログラムを成功させたのだと思います。そして、私と私の家族もジョンを受け入れたことで、色々なことを学ぶことが出来、本当によい経験をしました。そしてその一方で、実際にホストクラブとして留学生を受け入れたことによって、このプログラムを継続し、成功させるためには、色々な問題があるということも感じました。その一つは、留学生を受け入れる高校が大変少ないことです。日本には、ロータリーの青少年交換だけでなく様々な留学制度がありますが、このロータリーのプログラムは本当にしっかりと良くできたものだと思います。しかし、受け入れ高校がなかなか見つからない事については、ロータリーの受け入れ体制の充実だけでは対処できない問題です。
 私は、先日ジョンの日本語検定2級合格の報告をするために、弥栄西高校に行き、校長先生と話をする中で知った事ですが、公立高校では「取り出し授業」という制度があるそうです。特別な指導や補修を必要とする生徒を教室から取り出して、教師が特別に指導する制度です。そしてこれは正式に単位の認められる授業であり教師にも手当が支給されます。ただし、神奈川県教育委員会の方針では、この制度が認められるのは、正式に試験を受けて入学した生徒に対してのみで、ロータリーの交換留学生のように特別なかたちで在籍している生徒には認められません。つまり、神奈川県の県立高校では、留学生を受け入れ特別の指導をしてもそれは、正式な授業とはみなされず、教師がボランティアでしていることとなってしまうのです。これでは、高校側も留学生を受け入れることに難色を示すのも当然かもしれません。そんな制度の中、弥栄西高校の生徒たちは、ジョンに色々と指導をして下さいました。私は、留学生を受け入れてくれる高校がなかなか見つからない理由の一つにこういった制度上の問題もあることを感じました。
 ロータリーで奉仕の精神から、青少年交換プログラムをさらに充実させたいと願っても、今の制度のままでは、受け入れ高校を見つけることが困難なのが現状です。これは単に、委員会で解決できることではありません。この「取り出し授業」の制度が、留学生にも認められるよう、ロータリー全体で、文部省そして神奈川県の教育委員会に働きかけて行く必要があると思います。留学生を受け入れるということは、受け入れた学校にとってもとても有意義なことです。若く心の柔らかな時に外国人に接し、友達になるという事は日本の高校生にとっても素晴しい体験だと思います。
 今年も、ブラジルの高校生、ララ君を受け入れましたが、ララ君にとって実りある留学となるよう、私もホストクラブのメンバーとして協力したいと思います。

<ちょっとロマンのある話>
 霧生 房夫

3年程前、京王線多摩境駅近くでマンションを設計した折、埋蔵文化財の包蔵地ということで調査に入ったのですが、道路向い南斜面地に玉石を環状に並べた遺跡がありまして、その時これは何だろうかと思ったのですが、我々の祖先でもあります太古の人:縄文の人が何を思って生きていたのか、特に死生感について話しをしたいと思います。この死生感については全ての人にとって生の永遠を願いましてもかぎりがあり、そのかぎりをいかに考えるかと思われますが、太古の人はどう考えていたのでしょうか。
縄文の人々は人が亡くなるとその魂は山に行き、天の一角に祖先の住んでいる世界があり、そこに帰って行くと信じられていたようです。祖先のもとに生活し、(ただしこの世とは全てが反対になっている世界)いずれその魂はこの世に帰って来て生まれ変わるということで、多摩境の環状石はこの場所より丹沢-蛭ヶ岳に亡くなった魂を送ったまじないのような石ではないだろうか。自分もこの丹沢山系を見て育ったのですが、太古の人はたいへん神聖な山々としてみていたのではないでしょうか。もし子供が亡くなったときは、生まれてすぐに祖先のもとに帰すのはかわいそうなので土器の中に亡くなった子供を入れ家の入口に埋めて足でよく踏むことによりその魂をもった子として生まれかわると信じ、子供を宿してお母さんが亡くなるとお腹の中では祖先のもとにお母さんと帰ることが出来ないので、お腹から取出して送ったということです。それは時代を経て土偶となったと言われていたのですが、明治の代迄その風習は東北地方に見られたそうですが、北海道のアイヌにみられるその風習により、縄文人とアイヌのつながりを示す一つの事実と思われます。このアイヌの人と縄文人が同一としますとこれから1万2000年前よりの1万年近い縄文の人々のことが次第にわかってくるかもしれません。アイヌの人々は雑草にさえ魂があると考え魂をもったものは人と同じく神の支配の下に生き、妻、夫、子供に依存することなく、村の内、外での地位もなく尊敬のみが地位としてあり、財をたくわえることもなく、粗末な家で充足し平和に、その死生感から心おだやかに生きたのではないだろうかと思われます。


★熊坂会員、休会より復帰!!

熊坂会員が復帰いたしました。