ロータリー創設から確立までの背景!

<如何に捉えるか?>

1918年1920年

<1919年>

 1919年-(大正8)- 戦争が終わるとロータリーは一層急速に躍進した。
 フィリピン、中国、インド、パナマ、アルゼンチンにRCが出来て、その輪は東洋も含め、15ヵ国に拡がった。
 ソルトレークシティーの第10回ロータリー国際大会には3,038人が参加した。
 戦勝を受け、歓喜のるつぼとなった会場のモルモン教本部の大会堂!そこには楽隊を率いて乗り込む参加会員もいたという。ホストクラブの会員たちは全員ブルーの上着と白ズボンで登場し、会場を華やかなものにした。
 標準ロータリークラブ定款を改正、クラブ綱領と連合会綱領が同一化される。
 ネブラスカ州フレモントに500番目クラブが誕生!
 国際協議会の前身インターナショナル・カウンシル(IC)を開催する。
 シカゴRC例会でのハリー・ローダー(終戦直前に息子を失う)の名文句! →「ロータリーは国際的な友情の太いきずなを作り上げる、黄金の糸である」
 ポール・ハリスの母、コーネリア・ブライアン・ハリスがデンバーで死去。
 
 パリ講和会議スタート、ヴェルサイユ講和条約調印。T.ルーズベルト死去。
 第一回人種差別撤廃期成大会開催される(東京築地)-伏線に排日、黄禍論?
 国際連盟規約委員会で、日本代表が「人種差別待遇撤廃」を提案、しかし否決される。
 講和会議で、シオニストが「神の約束の地」を要求、英に工作!
 米・北部諸都市の黒人急増! ワシントンで、白人兵士の黒人スラム襲撃をきっかけに人種暴動!(後にシカゴに飛び火する-軍出動、双方死者38人)。
 ワシントンで第一回国際労働会議開く、18才未満者および女子の夜間労働禁止を決議。
 米婦人参政権を認める憲法修正第19条が可決、各州の承認要求!
 米共産党シカゴで結党される。全米反シガレット連盟がシカゴで結成される。
 ワールド・シリーズでシカゴホワイト・ソックス八百長事件!が起きる。
 米ウィルソン大統領の拒否権発動をおして全国禁酒法(ボルステッド法-憲法第18条修正)成立、アルコール分0.5%以上の飲み物をアルコール飲料と定義。21、29年に更に修正・強化される!→ 製造・販売・輸送の禁止。 自宅でウイスキーを楽しむ分にはおとがめなしだが、友人にも飲ませてやろうと服のポケットに入れて持ち出せば初犯でも罰金1000$、禁固6ヵ月の刑に処せられる。→アルコールの密造、密売はギャングの利権の温床!
 朝鮮で「独立、自由と平等万歳」を叫んで三・一運動、中国でも五・四運動。
 インドでガンジーが非暴力・不服従の抵抗運動を開始する(対ローラット法)。

※ ベイトソンの第一次世界大戦観
   (「戦争の世紀」、桜井哲夫著、平凡社新書より抜粋)
 ワシントンの警告に背いて、ヨーロッパ問題に足を踏み入れたアメリカ合衆国は、以後、世界各地での紛争に関わるようになってゆくのだが、この第一次大戦の処理に関して禍根の残る立場に与することになった。
 脱領域的な思想家であったグレゴリー・ベイトソン(1904?80)が、このアメリカの体験について、きわめて興味深い指摘を行っている。
 ベイトソンは、1966年にカリフォルニア州サクラメント・カレッジでおこなった講演の中で、20世紀を決定づける出来事として、二つのことを挙げている。
 ひとつは、彼の仕事とつながり、20世紀後半の世界を決定づける概念である、ノーバート・ウィナーのサイバネティックス概念の発見であるが、もうひとつ挙げられた出来事は、おそらくその講演を聞いていた学生などにとって予想外のものであったに違いない。
 その講演のなかで、ベイトソンは、第一次大戦直後ヴェルサイユ条約の締結に至る一連の出来事をサイバネティックスと並んで20世紀のなかで最も重要な出来事だと述べたのであった。そして彼は、自分にとっての歴史的重要性の基準について語っている。
 人間を含めた哺乳動物にとって生きてゆくうえで最も重要な問題とは、自分たちの関係のパターンなのだ。面と向かった相手との愛や憎しみや依存などの関係のなかで自分がどのような位置に置かれているのかを知るということほど、生きてゆく上で重要な問題はない。
 だから、歴史のなかで、人々の態度が変化した、つまり定着していた価値体系が裏切られてしまったときには大きな苦痛が生ずることになる。
 ではヴェルサイユ条約の締結のときはどうであったか。
 ドイツの敗北が明らかになってきていた時期に、ジョージ・クリールというPRの専門家が、穏やかな講和条件を提示すれば、ドイツはきっと降伏してくるだろうと考えた。かくて懲罰的な措置を含まない14カ条の案が彼の手によって作成され、合衆国大統領ウッドロー・ウィルソン(1856?1924)のもとに送られたのである。
 ウィルソンは、領土の併合も、賠償金も、懲罰的措置もないと力説し、かくてドイツは降伏してきたのであった。
 英米の側は、条約締結の前まで経済封鎖を続行し、その後も1年ドイツは飢え続けた。
 フランスのクレマンソー、イギリスのロイド・ジョージ、イタリアのオルランドは、14カ条の条件に言及するウィルソン大統領をなだますかし、結局、ドイツに対して過酷な懲罰的措置を伴うヴェルサイユ条約を成立させたのだった。これは、文明史上、最も悪質な裏切りであったと言っていい。子どもに何か約束しておいて、それを反古にしてしまい、もっと高次の倫理的枠組みに入れ、みんなのためだからと言いくるめたとしたら、どうだろうか?そのやり口がフェアーでないと子どもが思えば、親に敵対するだろうし、自分の行動の道徳的なあり方(セッティング)を変えるだろう。それと同じことが起こったのだ!
 ドイツの政治からモラルが失われ、ドイツ国民の恨みが生まれて第2時大戦の火種を生んだだけではない。
 一方の側のモラルが低下すれば、他方のモラルも当然低下してしまうのだ。
 不信と憎しみと破壊が世代を超えて自己増殖する世界が生まれたのである。
  ジョージ・クリールに14カ条の条件はどうなったのかと弁明を求めたなら、それで何千人かのアメリカ人の命が救われたなどという、一般的な善を力説しただろう。しかし、それと引き換えに第2次世界大戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争でどれだけの命が失われなければならなかったかを考えると気が遠くなるだろう。
 また、この種の弁明(これ以上アメリカ人の命を奪うな!)がヒロシマ、ナガサキへの原爆投下を許したことを思えば、ヒロシマの運命はヴェルサイユで決まったということになるのではないか。
 サイバネティックスのルーツの一つであるホワイトヘッドとラッセルの展開した「階型(タイプ)理論」に従えば、「これこれの条件で停戦しよう」というメッセージは、戦闘の中で演じられるだまし合いと同じ倫理システムに属するのではない。
  つまり、戦争についてのメッセージは、戦争そのものに含まれてはならないのだ。
 実は、さらにベイトソンの議論は、コンピューターを駆使した外交政策の危うさにまで言及しているのだが、ここではそこまで話を進めない。
 ともあれ、大事なことは、ベイトソンが論じているヴェルサイユ条約を生み出した第1次世界大戦そのものが20世紀の世界に物理的にだけではなく、精神的にも大きな変動を生んだことを確認しておかねばならないと
 いうことだ。

※ ベンヤミンの著作である「経験と貧困」(1933年)を受けて
   (出典は同上、244P〜)
 ヴァルター・ベンヤミン(1892?1940)はこの戦争で何を失ったのかを的確に論じている。
 彼はこの本の最初で、かつて大人たちには、子どもたちに対して、お前もそのうち経験するだろう、という決まり文句があったことを指摘している。
 だが今や年長の世代が下の世代に語って聞かせる「経験」はどこに行ってしまったのだろうか。
 自分たちの経験はこうだ、と述べて青年たちの心をつかもうと考えるひとがいるだろうか。否。もはやそうした
 ことはありえないのだ。
 「経験の相場はすっかり下落してしまった。しかもそれは1914〜18年にかけて、世界史の中で最も恐ろしい出来事の一つを体験することになった世代において起こっている。・・・そうなのだ、不思議なことでは決してなかった。というのも、あの戦争ほど、徹底的に、経験というものの虚偽が暴かれたことはなかったのだ。
 すなわち、戦略に関する経験は陣地戦によって、経済上の経験はインフレーションによって、身体的な経験は飢えによって、倫理的な経験は権力者たちによって、ことごとく化けの皮を剥がされたのだった」。
  「経験」の崩壊は、世代間の断絶を生み、人と人との間の関係を変化させ、「経験」や「文化的遺産」から切り離された無機質な文化を生み出し始める。
 第1次世界大戦は、国家総動員の名のもとに、どこを切り取っても等質で、固有の経験や文化を喪失した「国民」、すなわち、オルテガ・イ・ガセットの言う「大衆」、ハイデッガーの言う「ダス・マン(世の人)」を生み出した のだ。
 かくて第1次世界大戦は、それ以前の社会や文化から世界を切断してしまった。以後の世界を特徴づけるのは、「痕跡」を消した文化である。
 ベンヤミンは、バウハウスの建築や作家シェーアバルトが描いた移動可能なガラス住宅は、人が住んだ痕跡を消してしまうことに注目する。
 人の住んだ歴史(痕跡)が一切残らない住居。それは、20世紀という無機質な科学技術文化、没歴史意識の時代の象徴でもあろう。
  かくして、われわれは、第1次世界大戦が20世紀の運命を決定づけただけではなく、いまだにわれわれを拘束し続ける今日の政治的問題へとつながる決定的な出来事であったことを認識せざるを得ないのである。