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第13回IAC地区年次大会開催 2003年11月23日 |
03/04年度の当地区のインターアクトの年次大会が、例年通り11月23日(祝)に開催されました。今回は逗子開成学院IACがホストクラブで、同校徳間記念ホールがその会場となりました。 ※ マザー・テレサさんは「生きる聖女」と呼ばれ、ノーベル平和賞受賞者(1979年)、世界平和の功労者として、その生きざまは世界中の人に強い感動を与えた方です。アグネス・ゴンジャ・ボジャジュとして現在のマケドニアのスコピエで裕福な家庭の三人兄弟の末っ子として生を受けました。父親が早世し、家計が苦しくなった18才の時に志願して、アイルランドのロレット修道会に入会、1929年に同会から派遣されて、インドのカルカッタに渡る。1937年に終生誓願を立てて「テレサ」という修道名を与えられる。その後「外に出て、キリストの命を人々に与えなさい」、「貧しい人のなかにいるイエスに仕えよ」(1946年)という神の啓示に従い、自ら「神の愛の宣教者会」を設立(1950年)、貧者救済のための施設をインド全土に、後には世界中に建設するのである。彼女は世界に対する自分の役割を、次のように定義している。「私たちの仕事は、キリスト教徒も非キリスト教徒も愛の仕事をするよう励ますことなのです。そしてすべての愛の仕事は、心のすべてをこめてするもので、いつでも人を神のもとに近づけるものなのです」。 2 MOTHER M. TERESAの話-NO.2 テレサさんの話し → ある夜のこと、一人の男性が訪ねてきて、「八人の子持ちのヒンズー教徒の家族が、このところ何も食べていません。食べるものがないのです」と告げてくれました。そこで私は、一食に十分なお米を持ってその家に行きました。そこには、目だけが飛び出している子どもたちの飢えた顔があり、その顔がすべてを物語っていました。母親は私からお米を受け取ると、それを半分に分けて、家から出て行きました。 しばらくして戻ってきたので、「どこへ行っていたのですか、何をしてきたのですか」と尋ねました。「彼らもおなかを空かしているのです」という答えが返ってきました。「彼ら」というのは、隣に住んでいるイスラム教徒の家族のことで、そこにも同じく八人の子どもがおり、やはり食べるものがなかったのでした。この母親はそのことを知っていて、僅かの米の一部を他人と分け合う愛と勇気を発揮したのでした。 自分の家族が置かれている状況にもかかわらず、私が持って行った僅かの米を隣人と分け合うことの喜びを感じていたのです。その喜びをこわしたくなかったので、私はその夜、それ以上の米を持って行くことはせず、その翌日、もう少し届けておきました。 3 東京ディズニーランドの暖かい心配り ある難病の子どもを持った夫婦の物語です。子どもが白血病に冒されてから、両親はありとあらゆる治療をこころみ、その回復を願ってきました。しかし、その甲斐なく、子どもはその短い生涯に幕を閉じてしまったのです。夫婦は、とても悲しく空ろな日々を送ることとなります。不憫さがつのり、何ともいえない気持ちに襲われるのです。 その時にどちらともなく、闘病中に子どもが夢として語っていたことを思い出しました。「病気が治ったら、東京ディズニーランドに行きたい。お父さん、お母さんぜひ連れて行ってね!」子どもらしい夢でした。「そうだ二人して、子どもの行きたかった東京ディズニーランドに行ってみよう!子どもの夢を背負って!」。夫婦は在りし日の子どもの思い出を抱きながら東京ディズニーランドを訪ねました。いろいろ歩き回りました。子どもが行きたがっていた場所、アトラクションです。そしておなかが空いたのでレストランに入りました。 レストランでメニューを見た時に、夫婦は同時に「お子さまランチ」に目が向きました。夫婦は急に、子どもが生きていれば食べたであろう「お子さまランチ」が食べたくなりました。しかしそこには但し書きがあり、お子さまに限りますとの事でした。そこでウェイトレスさんを呼び、事情を話し、「是非食べさして下さい」とお願いしたのでした。ウェイトレスは「ちょっとお待ち下さい」といって上司に相談にいきました。そうして「どうぞ、どうぞ注文して下さい」と言いました。そこで二人は在りし日の子どもを偲びつつ、そのお子さまランチを味わったのです。 すると先ほどのウェイトレスがお子さま用の椅子を持ってきて夫婦の隣に置きました。そして言いました。「せっかくですから、お子さまもお座りになってください」、「どうぞ、お子さまといっしょにお食べください!」この言葉を聞いて、夫婦は心の底から暖まるものを感じ、東京ディズニーランドに、このレストランに深く感謝したそうです。貴重な一時を、深い人の思いを、しっかりうけとめられるこの心配りは、多くの人に強い感動を与えたのです。 4 ゴルファー「グレッグ・ノーマンと白血病の少年」 グレッグ・ノーマンは大変評判の良いプロ・ゴルファーであります。一つにはその挑戦的な姿勢、アグレッシブなゴルフに、ファンはしびれます。そしてもう一つ、とても優しく親切な人柄にファンは引かれています。 さて、1989年4月、ヘリティージ・クラシックのトーナメント主催者のもとに、ある慈善団体(「希望をかなえる会」)から一通の手紙が届けられました。文面には、次のような事柄が記されていました。 「ウイスコンシン州に住む白血病の少年が、血液を全部交換するという大手術を控えている。手術の結果がどうなるかは不明である。彼はグレッグ・ノーマンの熱烈なファンで、手術前にぜひ一度、彼に会いたいと切望している・・・」その少年の名前はジェイミー。当時17才でありました。 手渡された手紙を読んだノーマンは即座にOKの返事を出しました。ヘリティージ・クラシックの当日、コースに姿を見せたジェイミーは、差し出されたノーマンの手を、おずおずと握りました。夢がかなった喜びで胸が一杯だったに違いありません。だが、ノーマンはもっと素晴らしい時間を彼のためにセッティングしていたのです。 ジェイミーをロッカー・ルームに連れていくと、選手一人一人に彼を紹介したのです。「やあー、ジェイミー、元気そうじゃないか」、「頑張れよ。負けるな」トップ・プレーヤーたちが、次々に彼の手を握り、励ましの言葉をかける。天にも昇る気持ちとは、こういうときを言うのでしょう。しかし、彼にはさらに大きな喜びが待っていました。ノーマンは、ジェイミーを「知り合いのカメラマンの助手」として、ロープの内側を歩けるよう、主催者側に交渉したのです。ギャラリーにもみくちゃにされることなくプレーを堪能したジェイミーは、ノーマンに、こうせがみました。「ぜひ、優勝してください!」 三日目、パットの不調に苦しんだノーマンは、日がとっぷり暮れても、なお練習グリーンの上にいました。「明日はジェイミーと一緒にプレーをするんだ!と自分に言いきかせたよ」 最終日、首位に4打差でスタートしたノーマンは、5番で初バーディーをもぎ取るや、8、9、10番と三連続バーディーをマークしました。さらに、15番でもバーディーを取り、彼はトップに躍り出たのです。最終18番のグリーン。1メートル強のパー・パットが残りました。これを入れれば念願の優勝です。 グリーン・サイドには、ジェイミーが、今にも胸がつぶれそうな顔をして見守っています。その内には祈りはじめた。 ノーマンは、この時「いいか、これはジェイミーのために入れるんだ!」と自分に言いきかせたそうです。そして、見事に決めて優勝!表彰式で、彼は次のような挨拶をしました。「私はこのトーナメントに勝ちました。しかし、本当のチャンピオンは私ではなく、ここにいるジェイミーです。死と闘っている彼こそがウィナーなのです。本当の勇気とは何かを教えてくれたのは君だよ。ジェイミー、ありがとう」。鳴り止まない拍手の下で、ギャラリーの中にいるジェイミーのもとに歩み寄ったノーマンは、手にしたトロフィーを手渡しました。 そして後日その賞金のすべてもかれの手術代にと贈ったのです。後日この時のことを取材されたノーマンはジェイミーの手術の成功を報告しつつ、再度「ジェイミーは素晴らしい勇気を持った男の子だよ」と語ったそうです。その時のノーマンの声はくぐもり、その頬には涙が流れていたそうです。 5 その他 「日本フェアー・プレー大賞」に選ばれた、ワールドカップフランス大会での日本のサポーター達の行為→ 「感動とは自分で自分をほめること」 ヨットで単独太平洋横断、単独世界一周の記録を持つ白石紘次郎さんの「ハイ・リスク&ハイ・リターン」の話し→ 大きな挑戦が、より大きな感動を生む。感動の積み重ねこそが、味わい深い人生の道である。 不登校のある女子中学生の話→ 毎日・毎日、ぼーつ!として眺めていた近所の農家の畑、農作業!ある時声をかけられた。「おーい、暇だったら手伝ってくれないか?」。そこでハウス栽培のトマト作りに励んだ。そして収穫の日!農家のおじさん曰く「素晴らしいトマトだ。こんなトマトが作れれば立派に生きていけるぞ!」この言葉が女子中学生の心に響きました。この感動を胸に抱き、新しい中学生活にチャレンジしていったそうです。 NHKがTVで報告した福岡県立城南高校の取り組み→ 夢を失いがちな今の青少年。そこで同校では「あなたの夢は何ですか?」として「ドリカム・ノート」(Dream Come True Note )作りを試みた。自分の本当にやりたい事をつきつめさせ、決意させ、その道づけをさせる。「我が道づくり、我が道拓き」である。弁護士でも、天文学者でも、スポーツ選手でも何でも良い。自ら拓く、自らの人生!自らの夢へのチャレンジはごまかせない。学校はその夢追いの手伝いをする。ぎりぎりのチャレンジ、そこに感動が生まれる! オリンピックを目指すマラソンの高橋尚子選手、酷暑・悪条件に挑むパリ・ダカール・ラリーの篠崎健次郎選手、大リーグにチャレンジ中の元ヤクルト選手の高津投手→ それぞれのチャレンジの有り様、最高の感動を求める「夢追いの道」についても言及されました。 6 まとめ 皆さんも同様に夢追い人であってほしい。 感動を得るステップとして、まずは「自分の夢を創る」ことが大切です。 その為にはいろいろな経験が役立ちます。更に視野を広げる努力も望まれます。その上で自らの実感を大切に、練り上げます。まずは自分の好きな道、自分らしい道は何なのか?これを突き詰めましょう。そして人に喜ばれる、感謝される道とは?練り上げればこれが天命ともなりましょう!「自分に忠実に生きること」、これこそがチャレンジの対象なのです。 夢の実現には「祈り」が必要です。「自分の今の力」以上を求める道です。 さすれば念じる心持ちが必要となるのです。 マザー・テレサさんも言いました→ 「善い行いは、一つひとつつながって愛の鎖を作ってゆきます」、 「神は私たちが小さいことに大きな愛をこめて行うようにと創られました。この私たちが心に抱き、また抱くべき大きな愛はまず家庭において始められねばなりません。それは家族、または通りの向い側や家の両隣りの人々への愛から始まり、やがてすべての人へと及んでゆくものなのです」、 「悲しみに暮れている人に、ほほえみかけ、短時間でも、淋しい人を訪れて慰め、雨にぬれている人に傘をさしかけ、目の不自由な人の代わりに読んであげること、こういうことは皆、小さい、本当に小さいことです。でもこのような貧しい人々への具体的な行為こそが、私たちの神に対する愛の表われなのです」、 「私は、親切にしすぎて間違いを犯すことの方が、親切と無関係に奇跡を行うことより、好きです」、 「私が思うのに、この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで、誰からも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです。また、温かい真の人間同士のつながりとはどういうものかも忘れてしまい、家族や友人を持たないが故に愛されることの意味さえ忘れてしまった人の苦しみであって、これはこの世で最大の苦しみと言えるでしょう」、 「私たちは皆、呼ばれたところで神に仕える義務を負っています。私の使命は一人ひとりに個人として仕え、一人ひとりを人間として愛することだと思っています。私は施設を批判するために今の仕事をしているのではありません。誰を非難する資格も持っていないのです。私の頭の中には、群集としての人間は存在せず、一人ひとりの人間としてのみ存在しているのです。もし群集として人々を見ていたとしたら、今しているこの仕事は始めなかったでしょう。私は、一対一のパーソナルな触れ合いが大切だと信じています。もし、社会機構の変革を神が望んでいると確信する人々がいれば、それは、その人たちが、そのように神にもちかけていったらよいことなのです」、 「大切なことは、たくさんのことをし遂げることでも、何もかもすることでもありません。大切なことは、いつでも何に対しても喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。貧しい人々に奉仕している時、私たちは神に仕えているのだと確信していることなのです」 → 「奉仕や感動は最高の生き方の技です!」 IACの皆さんは、感動とは隣り合わせの「奉仕の道」に触れている若者たちであります。そしてIACの皆さんは、これから伸び出す若々しい芽であります。これからであります!自らの感動に向かって“Be Challenge”! 期待しています! そして一人ひとりの人間は、皆Only One です。そのOnly One を捜し出すのは自分の努力にかかっています。ぜひ、頑張っていただきたい!皆さんのように他人への奉仕に関わっていると、それは自らの姿の鏡となって、Only One捜しに役立つものです。正に「人間」は人と人との交わりの中に存在するものですから!もし皆さんのOnly Oneが人の為、世の為になるならこれ以上の事はありません。 平成15年11月 原幹朗 |