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<02/03-インターアクト台湾研修報告記> 2002年12月21日〜25日 |
年末の12月21日?25日の5日間、2780地区のインターアクト台湾研修旅行が実施されました。当クラブは今秋から県立弥栄西・東高校のインターアクトクラブを、相模原北RCと共同提唱することとなりました。実績のある北RCと違い、まだまだインターアクト活動の実態、課題が把握できていませんのでクラブ・インターアクト委員会の立場で参加させてもらうことにしました。当初は萩原委員長、柏木委員と私の三名で参加する予定でありましたが、急用が入り、私のみの参加となった次第です(次年度再チャレンジしましょう!)。 肌寒い21日昼過ぎに、台湾No.2のエバー航空で成田を出発、台北経由で高雄空港、その後バスで台南駅前の台南大飯店に、夜9時頃に到着しました。乗り継ぎ、移動が多く、やや疲れた1日でありました。 翌朝は爽やかな青空、皆元気よく、最初の交流先である「長栄高級中学校」を訪問しました。校門に着くと心暖まる歓迎陣、まず南国の花飾りの名札を全員が頂きました。その後、ホールにて、蔡校長御挨拶、当地区神田インターアクト委員長答礼、記念品贈呈、ペアーとなる日本語コースOB、OG(17名)の紹介等があり歓迎式を終えました。次はペアー学生と自由に学内散策(創立以来の記念品を集めた資料館等)、それぞれに交流を楽しんだ後に、隣接レストラン(濃園満漢餐廳)で昼食を摂りました。午後は台湾の京都と称される古都、台南の市内観光(天然記念物の野鳥、黒首鷺の見学、オランダ要塞跡等)、夕食会では日本の高校生の合唱(輪になって踊ろう!)も披露されました。夜は再び、ペアー学生とのタウン・ウォッチング!門限までのフリータイムを皆楽しんでいました。 学生とは別に、神田インターアクト委員長、大浦地区副幹事を始めとする、我々ロータリアン・顧問教師は、今後の運営の有り様について長栄側と協議、特に御高齢の張厚基氏(大正15年のお生まれ)の後任となる黄博富氏との打ち合わせ等を行い、その後学園長の蘇進安先生、OBの謝榮宗氏等にも親しく御挨拶することができました。この間、小田原RCの簑島会員(今回は御子息の同RC会員、蓑島恭夫氏が参加されました-氏は私の慶応高校、大学の先輩でありました。頭上がらず!)を始めとする諸先輩・各位の長年に渡る御尽力で、双方の信頼関係は強固なものであると感じました。 翌日は移動して、世界有数の国際貿易港である高雄市の見学(駆け足で寿山公園、澄清湖)、愛河沿いのレストランで昼食(この頃、やや中華料理に飽き飽きする学生あり!)を摂りました。食事後すぐに、高雄駅から特急「自強号」にて台北に移動しました。約4時間余の休息を兼ねた列車の旅!なかなか良いものでありました。 夕方5時頃に台北駅着、直ぐに「RI.3480地区インターアクト連合、親善交流訪問締結式及び大晩さん会」の式場に向かいました。式場は聯勤信義倶楽部、10人掛けの円卓が20位、約160人の大歓迎陣でありました。 いよいよ祝宴!3480地区インターアクターが企画したもので、サンタクロースの登場あり、各民族衣装にてリトルワールドの演出あり、ロック調のストリートダンスありと多彩な演出で盛り上がりました。ゆっくりと時間をかけて晩さんを楽しみました。宴席後、当インターアクターはそれぞれ指定されたホームステイファミリーと帰宅しました(今回は、原則として、夏の受入学生宅)。 さて24日は、学生は、各家庭で様々にクリスマス・イブを味わったようです。国立故宮博物館・中山紀念堂・孔子廟の見学、また学校でのクリスマス会等を行ったようです。言葉も何とか、英語、日本語、北京語をかきまぜてコミュニケーションを図ったようです。 我々ロータリアン・顧問教師は、午前中はフリータイムでした。私は宿舎の三徳大飯店地下のフィットネスルームの足裏マッサージを楽しみました。昼食後に我々も市内観光、定番コースを回りました。中山紀念堂出口で、偶然に昔のサラリーマン時代(味の素)の友人に会い、びっくりしました。世間は狭い? 夜は3480地区ロータリーアンの方々から夕食の御招待を頂きました。もっとも、仕事熱心な神田委員長は、食事前に次年度以降の運営についてのフォーラムを実施しました。2780・3480地区の双方が自由に意見交換をしました。ここでも焦点は次年度以降の担当者の明確化、受入、交換時期の確定等であります。顧問教師三名(湘南学院・金川先生、逗子開成・小林先生、県立津久井・高橋先生)の御意見も伺いながら意見を煮詰めました。 まず3480地区次年度担当者が、台北文山RCの蘇慶端 氏(端新企業公司、連絡はEメール希望-英語で!日本語少しできる)であることを確認出来ました。受入、交換時期は日本への受入は8月初旬、日本からの派遣は3月春休み-台南がウイークデイ&台北土日希望で一致しました(→例として受入は2003年8月3?7日、派遣は2004年3月25?29日)。なお3480地区からは日本への受入をもっと増やして欲しい。希望は60人!場合によってはロータリアン家庭でもOKとのことで、神田委員長は努力すると答えました。各費用を人頭割にすることも確認しました。 大筋の一致を見たところで、宴が始まりました。まずは台湾恒例の乾杯、乾杯、乾杯!ところがここで問題・・・日本側はほとんどが下戸(女性の高橋先生がややいけるか?"乾杯"は私に集中したのです。さして強くない私ですが、神田委員長のこれまでの御苦労を察して、「人身御供」の覚悟を決めました。まずは先制攻撃、もっとも盛り上がっている蔡坤進 IAC委員長に乾杯攻勢!さらに新店碧潭RCの青少年奉仕委員長の駱瑞成 氏と乾杯、蘇慶端 氏とも乾杯、しかし後から、後から到着する、新手の屈強なメンバー!しかも蔡坤進 IAC委員長から別室のロータリーの宴席に誘われ、再び乾杯、乾杯、乾杯!孤軍奮闘の末、すっかり酔っぱらいと化してしまいました。何とかホテルに辿り着き、即睡しました(この間の記憶薄弱)。同室の簑島先輩に御迷惑をかけてしまったのではないかと今でも悩んでおります?
さて激動の一夜が明け、ホテルに子供達が戻ってきました。短いながらも家族の仲間入り、別れを惜しむ光景があちこちで見られました。午前中は国立故宮博物館の見学、市内免税店でのおみやげ探しであります。故宮は約1時間強の時間しかなく消化不良気味でありました。もっとも歴史の知識のあるなしでその味わいは大きく変わるのですが!三徳ホテルに戻って昼食、いよいよ帰国の途につきます。私は昼過ぎにやっと二日酔いから復調しました。この間極力子供達から離れていました。子供達は元気です(思えば怪我もなく、病気にもかからず、たいしたトラブルもなく幸いでした)。再びエバー航空、午後3時の便で台北空港から成田を目指しました。往路はかなり揺れたのですが、復路は順調!飛行機の窓から、旅の終わりを惜しむかのように、夕焼けを眺める子供達の顔が印象に残りました。成田からはチャーターバスで横浜駅に移動、少し渋滞しましたが9時頃に到着、天理ビル脇で解散し、各自帰宅しました。短いような、長かったような台湾研修!高校時代の、そしてインターアクト活動の、大きな、そして良き思い出が生まれたことを確信して報告を終わります。 (2002年12月 原幹朗) |