2000−2002年に、マルチ・イヤー奨学生として、イタリアのミラノに留学させていただいた渡辺ローザです。専攻は声楽で、むこうではイタリアオペラを中心に勉強していました。
西洋音楽の本流のひとつであり、オペラ発祥の地であるイタリア、そこで生まれた音楽を学ぶのですから、その風土や文化を知り、その地の言葉を話して暮らすことは、直接的でないにしてもとても大切なことです。
多くの方がイタリア人に対するイメージは陽気で明るく、mangiare(食べる)、cantare(歌う)、amore(愛する)ことを好み、店などに昼休みをとる習慣があるためか、あまり働かない人々のように思われがちですが、早朝5時には清掃車が走り、そのうちにパンとエスプレッソコーヒーのにおいが街にたちこめます。
また、日本でも土地柄といったものがありますが、イタリアは長靴の北から南へと体格、言葉、気質もかなり違ってきます。イタリア人は自分の故郷が一番、つまり郷土愛が強く、イタリア人である前にミラノ人(milaneseミラネーゼ)であり、ローマ人(romanoロマーノ)であり、フィレンツェ人(fiorentinoフィオレンティーノ)なのです。
イタリアの町々は広場があって、そこを中心に円形に街が広がって行く構造で、幾重にも重なったドーナツの外側にくるほど簡素になってきて、人は広場のあるところに集まってきます。私が滞在したミラノはミラノコレクションや見本市といったファッションやデザインなどを中心としたビジネスの街で、他人のことにさほど干渉しないようですが、近隣の人のことや、道を探していそうな人をほっておけない人たちも少なくはありません。
尋ねずとも、地図を広げていようものなら、どこへ行くのか聞いて、正しいかどうかあやしいのですが、行き方を説明してくれます。
ミラノはかつて霧の町と言われ、冬になるとあたりが真っ白で、運転もままならないほどだったようですが、ここでも地球温暖化の影響で、霧が現れなくなりました。それでもミラノの冬は格別で、私がコンサートに出演して夜遅く帰宅したとき、アパートに入る外の鍵が入らない事件?!がありました。不在の間に鍵を変えたのかとありえないことを思いながら何度か試したものの、鍵が回らない以前に、入らないので、塀を乗り越え中へなんとか入りました。後でわかったのですが、寒さのために鍵穴が凍りついていたため鍵が入らなかったのです。それ以来冬場にライター携帯するようになりました。
先にも述べましたが、イタリア人は陽気な人が少なくなく、大きな声で話す人は確かに多いのですが、意外に封建的で、真に打ち解けるのはむずかしい人々です。また家族を大切にし、しいては家族で過ごす時間を大事にして、特別な日は家族で食卓を囲みます。
例えばクリスマスには家族で食卓を囲み、ともに連れ立ってミサに行くのが多くのひとのスタイルです。その頃の街は静かで淋しいもので留学生などにとっては悲しいときでもあります。
しかしロータリーの奨学生は、ホスト・ロータリアンの家に招待され、いっしょの食卓を囲ませてみ、ロータリーための大聖堂でもミサにも参加できました。
また、地区代表のホスト・ロータリアンであった弁護士のルチアーノ・ラーコ氏は各々のホスト・ロータリアンの家に招かれていない子がいないか、いれば我が家に来るようにと、気遣っていただきました。
本当にイタリアの休日は閑散としています。夏の都市部は空いているお店を探すほうが簡単です。7月後半から1ヶ月、レストランを閉めて、たいていの人が避暑に海辺や湖、山の別荘へ移動します。1つにはイタリアの一般家庭は冷房がないのが普通というのがあげられます。日本では休み前だから食料を買っておかないといけないという状況は昨今ありませんが、イタリアではぽつりぽつりとあいているスーパーマーケットがあるものの、品物もあまり並んでいません。やや否定的な見方になりましたが、働くときは働き、休むときはおもいっきり休む、メリハリのある、人間らしい暮らし方をしているとも思えます。
イタリアは理屈にあわないことが少なくない国です。そのひとつに車の縦列駐車があります。どうしたらそうなるのか?3列の縦列です。真ん中の車がどう出発できるのかいまだに疑問です。車のバンパーは何のためにあるのか?縦列駐車や発車のときに前後の車を押して自分のスペースを確保するために使用します。
郵便事情はあまりかんばしくはありません。送った荷物が無事着くかもあやしく、紛失やなかなか届かないこともあります。以前小包をだしたとき、たくさんの切手を貼ったところ、郵便局員がはじめは数えていましたが、途中でもいい・・・ということになり、ささやかに得をしました。
それと、イタリアといえばストライキです。急に強行されたり、今まで動いていた路面電車が走らなくなったりします。
そして電車といえば、遅れることは日常茶飯事です。10分のときもあれば2時間以上の遅れもあり、15分くらいならば、途中ものすごいスピードで走り、時間通りに到着し、電車が遅れたおかげで、前の電車に乗れたりすることもあります。悪く言えば、いいかげんなのですが、裏返してみれば臨機応変と言えるでしょう。これがイタリア人のすばらしく、面白い点の1つです。
郵便局や駅の窓口も人によって意見が違う場合も無きにしもあらずかもしれません。
日本も最近は振り込め詐欺など物騒な事件がありますが、リックサックを前がけにし、肩から提げた鞄を握りしめ、マクドナルドや電車などで鞄を空いている席に置かないよう気をつけるといった、日常生活の中での緊張感はほとんどないように感じます。
そういった意味では日本は安心感のある、便利な国ですが、人と話すこともなく買い物のできる今日この頃は、道でぶつかりそうになったとしても、何も声にださずにその瞬間が過ぎ去り、若者が疲れているのか?!優先席に余裕で座り、困っているベビーカーの人をみても手伝おうとしない淋しい世の中になったと思います。
私が知っているかぎり、イタリアやフランスなどでは、地下鉄を例にとりあげると、規模も小さく、駅に階段しかないところもありますが、これはある種の偏見かもしれませんが、鼻や口にピアスをしている若者でも困っている母親に手を差しのべるのは当たり前のことであるようです。
ヨーロッパは日本で言われているようなバリア・フリーは進んでいませんが、心のバリア・フリーはかなりのものです。エレベーターやエスカレーターがなくても、人がそのかわりになればよいのですから。日本でのバリア・フリーやユニバーサル・デザインという言葉は、健常者以外の人が利用しやすい施設や物などに使われていますが、ヨーロッパでは、わけへだてなくすべての人が使いやすいものをめざしたものを指しています。その考え方が真の意味でのわけ隔てない社会がはぐくまれるとのではないでしょうか。
最後になりましたが私の専門の声楽のことについて少しふれておきたいと思います。
私の先生のひとりであった、ロベルト・ネーグリ先生が言われていた言葉「僕たちの仕事はたえず鍛錬していないと、技術を保持できない。一生勉強だ。」があります。1度得た技術も訓練をつんでいないと後退してしまう、音楽一般にそうですが、声楽は楽器という媒体がなく、体が、筋肉に覚えさせるという意味でスポーツに似ています。
今も日本での先生のもとでトレーニングをつみながら、コンサートに出演し、私自身もたまに教えることもしています。
教えるうちに再認識したのは、歌に言葉はつきもので、言葉で直接的に表現できるのが歌の原点でもあり、他の楽器とはちがうところです。それだけに詩は大切です。
日本にいても最近は留学経験をつんだ先達によって技術的なことはかなり学べるようになり、日本の演奏家のテクニックは世界レベルに達している人も少なくありません。
しかし、言葉は現地で生活しないと上達が難しく、曲の背景にある季節感や風景、雰囲気といったニュアンスを理解するのは困難に思います。
私はロータリーの皆様のおかげで留学させていただいて、今の自分の糧となり、右も左もわからない土地でロータリーの奨学生ゆえに現地の方々とよく付き合え、助けていただいたことに感謝しています。
最後に3月14日(土)19時開演で、逗子文化プラザホールのなぎさホールで、紛争で教育の機会の得られなかった、インドネシアのアチェ州の子供たちに図書館をプレゼントするための、チャリティーコンサートが開催されます。テーマは「子供・未来・夢」でそれにちなんだ曲が集められたコンサートです。ぜひ足を運んでいただけたら幸いです。
私事ですが、2009年6月19日に御茶ノ水の日本大学カザルスホールにてリサイタルを行います。ぜひご案内させてください。どうもありがとうございました。
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