相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第758回例会週報

2008-09週報目次
◆「ガバナー公式訪問」
2008-09年度ガバナー 山路裕昭

 皆さんこんにちは、ただいま神田ガバナー補佐より過分なるご紹介をいただきまして恐縮しております。2008-09年度ガバナーを務めます山路裕昭と申します。
 地区運営には相模原グリーンロータリークラブより4名の方々、宮崎さんは財団補助金委員、小川さんは世界平和フェローシップ委員、石井さんはインターアクト委員、大野さんには財団増進委員としてご尽力いただいております。

 私の所属する足柄RCは生沼パストガバナーを特別代表として創設され、相模原グリーンRCはその3年後の生沼ガバナー年度の時に創設されています。それまで足柄RCを誉めていた生沼PGがこんどできた相模原グリーンRCは優秀なクラブだから負けない様にと言われていたことを思い出します。相模原グリーンの「グリーン」は田園に囲まれた足柄の風土でもありますので、いつもグリーンさんに刺激を受けながらやっておりました。

 クラブ委員会活動計画書を拝見してこのクラブで話をするのは非常に難しいなと直感いたしました。まず計画書が読みやすい、また言葉が柔らかい、わかりやすい。地区の中でも相当すばらしい計画書だと思います。目をひいたのは、全部の会長さんの方針が掲載されていたことで、これを読んで相模原グリーンRCがどういうクラブ作りをされてきたのかがいち早くわかりました。
 そこで困りました、卓話をどうするかを。それで難しいことをお話するよりは、私自身の生き方・言葉で語ったほうが皆さんに受け止めていただけるのかなと考えました。

 私の職業分類は「仏教」、東寺が本山ですが高野山で修行いたしました。その時一冊の本を持っていきました。それは紀野一義著「いのちの風光」という本です。その中に一つの詩が載っており、その詩が私の人生に大きな影響を与えてくれました。
 それは北原白秋の詩ですが、皆さんにご紹介いたします。この詩からくみ取れる奉仕の心を持つ人間に、またこの様な心のありようを持つ人間になっていきたいという思いを持ちました。

          「風吹く」 北原白秋 
          風吹く 消えし輝きを     
          吹きそよがして 光ゆく     
          野原一面 かがやかに
          照り輝かし 忘れゆく

 「風が吹いてきた、その風が消えてしまった光を吹きそよがしてもういっぺん光らせた。そうしたら野原が一面光り輝いてきた。」

 野原というのは人生という意味ですから、そこに生えている草というのは人間のことです。生きている喜び、希望をみんな無くしてしおれている人々のところへ風がすっと吹いてきた。その風が吹いてきたら消えてしまった輝きがもう一度燃え上がっていきました。
 生きていたってしょうがない、金が無ければしょうがない、愛情なんか信じられるものか、と言っている人のところに風がすっと吹いていきます。そういう人もやはり腹の底では愛情がないと生きてゆけない、人を大事にしたいと思っております。そういう気持ちを風が燃え上がらせ、みんなぽっぽぽっぽと火をつけて野原一面輝かせていく、しかもそれを忘れていくのであります。野原にいる人間全部を明るくしておいて、その風自身はそんなことはみんな忘れてどこかに吹き去っていってしまいます。

 風というのは人間の深い愛情の様なものであります。キリストの愛、仏教の慈悲と言ってもいいと思います。どんなに薄情な人間でも、どんなに冷たい人間でも、やっぱり人間はやさしくなければいけないということを考える様になるのではないでしょうか。
 そして気がついてみればその人はもうそばにいない。小難しいこともえらそうなことも言わず、いっしょになって考え行動してくれる、そして次第にがんばれるようになった時にはその人はいなくなっている。こういうあり方が私はすばらしいと思います。
 恩を着せるわけではない、重荷になるわけではない、なんとなくふわりとしている、この心が私は真の奉仕の心ではないかなと思います。この風がまさしくロータリアンではないでしょうか。

 困っている人、落ち込んでいる人の所にすっと吹いていく、人に言われたからいくのでなく自らの気持ちでいくこの自発性、みんなにぽっぽぽっぽと火をつけていくこの行為がまわりの人間や本人に人間のやさしさというものを考えさせ、一人で生きているのではなくみんなに生かされている、同じ地域で生きている一員ではないかという連帯性、そして忘れていく無償性が大事ではないかなという気がいたします。

 ところでこの風の吹き方にもいろいろあるわけです。台風では困ります。突風でも困ります。早ければ良いというものでもない。相手の気持ちの歩幅で動くのが大切ではないでしょうか。
木枯らしの風、つまり冷たい対応でもいけません。対応の仕方にも温度があるということです。相手の温度に合わせていくことが大事です。

 父が存命中私は福祉の仕事に従事しており、老人ホームを立ち上げました。その時入所されていた一人のお年寄りが病気で入院し、3ヶ月後ホームに戻ってきました。そうしたら主任寮母が「良かったでしょう、私たちの様なおばさん寮母ではなく、若いきれいな看護婦さんがいて楽しかったでしょう。」と話しますと、そのお年寄りは「顔は笑って手が怒っていたよ。」とつぶやきました。
 それを聞いて私たちははっとしました。愕然とする重たいつぶやきでした。その夜すぐ職員会議を開いて、もう一度ケアを見直しましょうと話し合いました。「気付いていますか? 利用者の気持ちを。」を合い言葉にケアに取り組みました。こういうちょっとしたつぶやきから気付く大切さを学び取ったわけです。

 皆さんも「気付いていますか? 利用者の気持ちを。」この利用者をいろいろな言葉に置き換えてぜひ活用していただきたいと思います。
 例えば、「気付いていますか? 奥さんの気持ちを。」皆さんがこうしてロータリー活動をしているのもやはり家庭をきちっと守っていらっしゃる奥様がいるからです。
「気付いていますか?」こういう心構えを活動の中で取り入れてみてはいかがでしょうか。

 さて2008-09年度のテーマは「夢をかたちに」でございます。このテーマに関しましては神田ガバナー補佐よりご説明させていただきましたので、私の方からはこのロゴマークについて感じたことをお話させていただきます。
 このロゴマーク、赤と青がからみあっています。元気な子供をあやしている母親に見え、ほほえましい光景が感じられます。
 もう一方の目から見れば病気の子どもを介抱している母親、もっと悲しい想像を働かせば、援助の手が差し伸べられなくて病死をしたこどもを抱く、呆然としている母親の姿にも見て取れます。
今年度RI会長はこどもの死亡率の高止まりを非常に心配されております。その要因としては保険設備、食糧事情、経済状態の問題、加えて事故、戦争、災害などがあります。 

 最近ではミャンマーのサイクロン、中国の地震で、多くの子どもたちが犠牲になりました。特に中国では学校が倒壊しその瓦礫の下から死亡した子どもを抱き上げ半狂乱になっている母親の姿がテレビに映し出されました。まさに悲しい想像を働かせたロゴマークそのものでございました。
 このロゴマークを子どもと見た場合、この子どもは元気で常に希望や夢を抱いていなければいけないと私たちは断言をしていかなければいけないと思います。そしてその環境を私たちが作って守っていかなければいけないと思います。

 水、保険、飢餓救済、識字率向上、いろいろな面で子どもに焦点を合わせた中で、クラブで慎重に方向付けをしてその中でプロジェクトを組んで、ぜひとも地域、また少し目を世界に転じていただいて遠く離れた地域社会のニーズに目を見開いて、援助を必要としている世界の人々にクラブ同士が協力しあって支援をしていくことが私たちの使命であり、夢をかたちにしていくことが仕事ではないかなと思っております。皆さん方のお力添えをお願いいたします。

 最後になりますが、5月18日地区協議会で一つ重点指針を追加いたしました。それは自然保護環境の中におけるロータリーの役割を見出しましょうという指針です。
 このすばらしい地球を私たちは守っていかなければ行けない、私たちの世代で負の資産を作り出し、その負の遺産の借金を返しながら生きながらえていく子や孫をじっと見ることができるでしょうか。今こそ家庭で職場で地域で何かときちっとしていかなければいけない、その活動の枠組みを、また活動をぜひともロータリークラブの中で見出してもらって地球自体を守り、そしてできるところから活動に結び付けていきたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。
ご清聴ありがとうございました。