「職業奉仕」
2007年9月26日地区で地区職業奉仕研修会が、講師 神崎PG、進行 石井地区奉仕プロジェクト副委員長にて開催されました。本日のフォーラムでは私がその要旨を皆様にご紹介し、その後地区奉仕プロジェクト委員長を務められる小川会員にまとめていただきます。
「職業奉仕」は難しいと一般的には言われています。これは言葉のマジックにとらわれすぎているのが一因ではないでしょうか。今日はなるべくわかりやすく「職業奉仕」について考えていきたいと思います。
1.ロータリー創設期に「職業奉仕」という言葉・考え方はあったのか?
ポール・ハリスは心の友を作る、従って同業者は入れない(仲違いする可能性がある)ということで創設したので、クラブとして「職業奉仕」、もっと言えば「奉仕」という考え方はなかったのではないかと思います。
会員同士の親睦と安全な取引(当初は取引の記録も残された)がメインでした。
2.奉仕という考え方の起源
勧誘したドナルド・カーターから「会員同士の取引だけが目的で、社会に貢献する意思はないのか?」と問われ、ハリスは親睦や取引だけがクラブの目的ではないはずだと再考し、シカゴ市民のために何か役立つことを行うことを綱領に加え、公衆便所を作ろうという市民運動をクラブがサポートしました。ここから奉仕の考え方が芽生えました。
3.「職業奉仕 Vocational Service」という言葉がいつ出来たのか?
奉仕という考え方は芽生えましたが、それは上の公衆便所の設置という様な「社会奉仕」
が先でした。そんな中、アーサー・シェルドンが入会します。彼はロータリーの第二モットー「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」で有名ですね。
シェルドンは当時セールスマンのための実践的なビジネススクールを経営しており、それは全世界にあったほど大規模なものでした。彼はそこで、「儲けよう、儲けようばかりではダメ、自分の職業について考えよう、人の役に立つ様な仕事をしよう。」と教えており、これは混乱した当時のアメリカ社会ではめずらしい考え方でした。
シェルドンの「仕事をする上でまず人の役に立とうよ」この考え方が、Serviceという考え方の始まりだと思います。ここでは特に「Vocation」という言葉は使っておりません。 「Vocation 天職」という言葉が登場するのは、1915年「The Rotary Code of Ethics ロータリーの道徳律」です。この宣言では底流に「to improve myself 自分を高める」という考え方があり、初期のロータリーのリーダーはこの点を重要視していました。
「入りて学び、出でて奉仕せよ」つまり人格を高める → その後社会に出て奉仕するということですが、「今目前にある奉仕の機会を見過ごしているではないか」という批判も起こり得ます(ライオンズの誕生)。
ここでは自分の職業活動を通して人格を高めることを第一義に目指し、それから社会に奉仕するという順番が大事になっています。例えば困窮した子どもたちを助けても、一方ではあこぎな商売をしていれば、ロータリーはそれを奉仕とは認めないということですね。 伝統的に日本のロータリアンはこの考え方を大事にしてきました。
4.「職業奉仕」という概念の現状について?
今のロータリー運動は初期の理想主義とは異なってきています。職業奉仕についての説明はたったの2ページですし、そもそも「職業奉仕とは何か?」を解説していません。そこで十人十色の解釈・解説が出てきて、職業奉仕は難しいということになってしまっています。
「職業奉仕」ということについてもっと単純に考えて良いと思います。
シェルドンの職業観は「職業 = 奉仕」つまり職業そのものが奉仕なのであるという考え方だと思います。従業員や顧客に報いるように働きその中で涵養の心を醸成していく、涵養の心が醸成されれば自然と人は社会にも奉仕していくことになるでしょう。
今は逆になってしまっていて「奉仕 → 金集め → 会員増強」の循環になってしまっていますね。例えば米山やR財団の寄付ですが、寄付を集めることが目的となってしまっていますが(当然その中で文句を言う人が出てきます)、もともとロータリーはその意義を十分理解し、積極的に寄付しようという意識を持った人、つまり奉仕の心を持った人を育てるのが目的で、そこに「職業奉仕」の実践を一つの核においているわけです。ただ近年この「職業奉仕」は理屈として捉えられすぎて、後ろにやられている様な気がいたします。
・職業と奉仕は密接に結びついている「職業 = 奉仕」である。
・Vocationという言葉にこだわる必要はない、Bissiness、Job、何でも良い。シンプルに考 えましょう。
・奉仕の心を作っていくのがクラブの役目である。 |