相模原グリーンロータリークラブ
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第636回例会週報

635回 | 637回 | 2005-06週報目次
◆「パレスチナの子ども達を支援して20年」
パレスチナの子どものキャンペーン事務局長
田中 好子 氏

こんにちは、お招きいただきましてありがとうございます。パレスチナ子どものキャンペーンの田中と申します。4年前の3月にここにレバノンのパレスチナ難民の子どもたちを招いていただいて、その時少しお話させていただいたことがあるので、たいへんになつかしく思います。
 「NGOだからできた奉仕活動」ということで少し面はゆい感じがするんですけれども、NGO、いわゆるNon Government Organization という言葉は、非政府機関ということになります。元々国連用語で、国連とか国際機関(International Organization)、日本あるいはアメリカなどの国の機関(Government Organization)と区別する意味で、GovernmentでないOrganizationすなわち NGOという言葉になっています。ここ5年くらいで定着してきた言葉と思います。

 よく似た言い方では、NPOというのがあって、これはNon Profit Organization、利益を目的としないと団体です。ですから私たちもそうですし、そしてロータリーもNGOでありNPOであると思います。

 難民の支援をしている現場では、国際機関・国連が一番大きな力を持っていて、広く浅く支援をしています。子どもたちに給食をするとか、救援物資や非常の際のテントを配るという様なことは国連がやっている作業です。その国連に関して日本政府とか他の政府が多額のお金を出しています。つまり国連自体にたくさんお金があるわけではなく、各国が出しているお金を元に活動しているということです。

 NGOの支援活動の場合は、政府からも時によって事業にお金をもらうことはありますし、あるいは民間助成団体、例えば宗教団体であったり財団であったり、そういうところからいただくこともありますけれども、基本的には市民の方たちからいただいたお金を元にして活動しています。たぶんそこがNGOが他と違う点かと思っております。

 NGOといっても、非常に大きく職員が何百人・何千人といる様な多国籍のNGOもあるわけですけれども、私たちの東京事務所の場合は数人の職員と常時10人くらいのボランティアでやっていて、また現地にも日本人駐在員を置いていますが、現場は現地の人たちが中心で活動しているという規模でやっています。ですから今日は私たちの例としてお話をすることになると思います。

国際機関やODAと違うNGOの支援

 さてパレスチナという言葉は、ここ10年くらいでたぶん日本の中で市民権を得たと思います。パレスチナと聞くと、なんかちょっと怖いなとか、最近ではまたイスラム教徒の人は怖いことするみたいな、そういう意識も存在し、どうしても国際的な政治の中に左右されやすい場所であるわけですね。パレスチナは石油が出るわけではありません。資源があるわけでもないし、大きなマーケットがあるわけでもないので、経済的な見地から見たときにどうなんだろう、というところがあるでしょう。そしてまた政治的にもよくわからないということで、ちょっと距離があるところだと思います。

 1月の終わりにパレスチナの国政レベルの選挙、実際には国になっていないんですけれども、がありました。その結果として今までの与党だった「ファタハ」というアッバス大統領の政党、もともとはアラファト議長の政党が敗北し、宗教団体を母体にした人たちが多数を占める様になりました。

 昨日のアメリカ議会では、この「ハマス」という政党が政権を取った場合には、アメリカ政府の援助金はカットする法案が提案されました。まだ議決まで行っていませんが、ほぼ通るでしょう。選挙の前からアメリカもヨーロッパもハマスが政権を取る様な場合には、援助金をカットするということを言っていました。日本は昨日の外務大臣談話で「様子を見る」ということを言っておられます(笑)。この様に、基本的に国がからんでいる援助というのはこういうふうに政治によって非常に大きく左右される、これは国によるのですからある種当然だとも言えます。

 これに対してNGOがやっている支援というのは、規模も全然違いますけれども、別に政府がどうなるかということではなくて、実際にそこで生活している一人一人の人たちとの関係、あるいはコミュニティとの関係ということを考えます。まずそこが大きく違うところだと思います。非常に当たり前のことだと思われるかもしれませんが、やはり支援を長い期間で考えようとすると、パレスチナの場合は常に大きな政治的変化を覚悟しなければなりません。13年前にイスラエルのラビン首相、PLOのアラファト議長、もう二人とも亡くなりましたけれども、二人がホワイトハウスで握手をした。でもその一年前には予想もできなかったことです。それから去年の秋まではハマスが勝つなんて誰も思っていなかった、ハマス自身もたぶん選挙当日、選挙結果が出るまで、こんなに圧倒的に勝つとは思っていなかった。この様に政治の状況というのは非常によく変わる、日本以上によく変わりますから、そこであんまりその時その時の政治のことだけを見ているとパレスチナのことは絶対にできなくなってしまいます。

 しかもパレスチナでは、少し前までは治安の心配はなかったけれども、今はもう外国人が誘拐されるかもしれないそういう状況になってきているので、短期的な視点に立たないということが、こういうパレスチナみたいな紛争地域ではとても大事な支援だと思います。

 対等な関係をどのように築くか

二点目は私たちが市民として同じ目線でお付き合いするということ、当たり前のことですけれども、これがとても大事なことです。最近流行りのアカウンタビリティ、日本的に言うと説明責任、主として会計情報を公開していく、お金をこういうふうに使いましたということを説明していくことです。このアカウンタビリティというのはとても大事な考え方で、会社が株主に対して説明責任がある、日本の中ではそちらの方向としてよく使われるのですが、今NGOの中でテーマになっているのは、お金を出してくださる方に対して説明責任があるだけではなくて、支援を受けている人たちに対しても同じように説明責任があるんじゃないかということです。全く同じではないですけれども例を申し上げれば、消費者に製品やサービスに対して説明責任があるのと同じ様に、受益をしている人たちに対して説明責任があるという考えを持たないと、援助の内容が一方的になってしまう。私たちが良いと思っているから、日本の社会が良いと思っているからこれでいいでしょ、ということでは現実に則さないという恐れがあります。

 それはすごく大きな政治とかのレベルではなくて、非常に小さなこと、例えば幼稚園では何を教えるかとか、歯科治療で使う材料は何が良いか、そういうことについてもきちっと説明責任をしていくことによって、お互いの関係を対等にして物事を明快にしていく、これが実は日本の社会の中だけではなくて、日本の社会とパレスチナの人たち、パレスチナの難民キャンプの人たちがつき合う場合でも、やっぱり同じ様に大事だと思うわけです。 こういうふうな形でしか支援の安定性というのが長く続かないわけです。

ODA、日本政府が出している海外への援助金というのは普通一年単位です。そしてODAの使い方については皆さんよくご存じの様に、いろいろな批判が出ていますし、ODAを一元化するという案も出ています。いずれにしても単年度の事業で、市役所が3月になったら、一生懸命道路工事をするのと同じように、予算消化しなくちゃいけない、決まった予算は消化しなくちゃいけないというふうになる、でも実際には、例えば通信費も昔は高かったけれども、今はIP電話を使えば安く済むわけです。また航空券の値段も季節によって大きな差があるし、円ドルのレートも違ってくるし、と変わってくるわけです。そういうことも含めてNGOの発想は、「使い切る」発想ではなくて、これはたぶん皆さん会社の方たちと同じではないかと思いますが、「節約をしつつ次の年にうまく回していく」というものです。

 国連とか政府のODAでいつも問題が出てくるのは結局そこのところに民間的な発想がないからで、NGOの発想はある種、営利とか収益とかは目的にしていませんけれども、民間企業の方たちが持っているごく当たり前の発想を持って、援助の場でも、会員とかお金を出してくれる方だけではなくて、受益者に対してもサービスをしていこうということです。そしてそれは対等な関係を作るために考えているということだと思うんです。

コミュニティの持続的な発展 人材養成を目指す

 今日は映像を用意していたのですが、何を皆さんにお見せしたかったというと、向こうの人たちの姿を感じていただきたいなと思ったわけです。

今日、一人でも多くの子どもに肉やパンをあげるかどうかということもとても大事だと思っていますけれども、同時にそのコミュニティの中で人材をどうやって育てていくのか、ということがそれ以上に大事だと考えています。学校があるとすれば校舎や機材も大事ですけれども、学校の中で一番大事なのが先生なんですね。先生がいることによって初めて子どもたちの教育ができるわけです。

 私たちガザでろう学校を始めて今年で13年目になります。そこで一番考えていることは、ともかく良い先生たちを育てていこうということです。それによってその社会の次の段階に行くことが可能になる。子どもたちを支援するということは、それを実際に行なうのは現場の先生なのです。

 この3年間、心の傷を持っている小さい子どもたちを支えるというテーマでも事業をしています。小さい子どもに直接働きかけをするということはなかなか難しいですが、子どものお母さんたちを支えることができると、ものすごく変わっていくんです。お母さんやお父さんなど、子どものそばにいる大人がどれだけ精神的に安定感を持つかということによって、子どもとの関係が変わっていくんですね。小さい子どもの精神的な安定を与えようと思ったら、お母さんとか子どものまわりの支える大人をケアしていくということから、始めていかなければならないわけです。そういう意味ではまさにお母さんたち、そしてコミュニティに力をつけてもらうということが大事だと思います。

 それから、日本でも子どもの問題が大きな問題ですけれでも、パレスチナでも一番大きな問題です。どうしてかというと日本は15才以下の子どもの比率が人口の15%ですが、パレスチナ、あるいはパレスチナに限らず第三世界の多くの国は人口の過半数が15歳以下の若い世界です。この子どもたちが10年後、20年後にどうなっていくのか、ということがとても大事だと思っています。だからまさに人材の育成なのです。若い人たちがどうやって自信を持って生きていけるのか、「難民」、「おまえパレスチナ人」、と屈辱的に生活をしている人たちにどうやったら自信を持って、自分の未来というものを前向きに考えてもらっていけるか、というのが世界の平和にとってもとても大きな要因だというふうに考えています。

 例えばレバノンにあるパレスチナ難民キャンプでは、小学校で20%の子どもが、中学校で30%の子どもがドロップアウトしてしまいます。小学校一年生から英語教育がなされ、これはレバノンに限らず中東のほとんどの国がそうですが、それも日本の中学一年生が使う様な教科書ではなくて、中学三年生か高校生が使う様な教科書が、小学校一年生から渡されて、英語を勉強しなさいと言われる、その上小学校5年生になったら理科と算数は英語で授業をするんです。

 難民キャンプの中で、先生が全然英語をしゃべれないのに、そういうシステムだけが先に行っちゃっている中で、勉強机さえ家に無い、もちろん辞書なんかも持っていない子どもたちが生き延びていくためにはどうするのか、という今日的な問題に実はパレスチナの子どもは直面しています。実は日本でも親や教育に携わる人間、あるいは子どもに携わる人間から見ると、日本の子どももパレスチナの子どもと変わらない、という同じ問題意識で活動していると思います。

 ですからまさに同じ目線というのが大事で、地域とか社会構造とかはかなり違うわけですけれども、実際に抱えている問題は似たようなことなんです。日本でも少子化対策の一番最初の項目は「子育て支援」で、これは乳幼児を抱えていて孤立しているお母さんたちをどうやってサポートしていくかということです。まさにこれは私たちがパレスチナでやっていることと本当に同じだなあと毎日思いながら、活動しているところです。