相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第572回例会週報

571回 | 573回 | 2004-05週報目次
◆ロータリーを考える
創始者ポール・ハリスの生い立ちとその生涯

山本 正司 会員

 ロータリー100年を迎え、その礎を造ったポール・ハリスについて、少しでもその人となりを知ることは私たちロータリアンにとって意義深いものと思いその伝記読み、まとめてみました。

1.その生い立ち
 ポールはウィスコンシン州のラシーヌで、1868年4月19日薬剤師の父ジョ−ジハリスと母コーネアン・ブライアンの次男としてこの世に生をうけた。ポールの父ジョ−ジ・ハリスは祖父ハワード・ハリスの長男としてニューイングランドの大変恵まれた生活環境の中で何に不自由なく成長した。しかしポールの両親は大変な浪費家でやがて財政的に破綻して幼い長男セシルとポールを祖父母の所に預けることになった。この時ポール3歳であった。このニューイングランド地方バーモント州のウォ−リングフォードでの生活こそがポールが後年ロータリ−を造る着想の芽があったといっても過言ではないでしょう。少年時代のポールは大変な悪がきであったようで、本人も後年認めている。しかし祖父母の献身的な愛情はそのような行動を暖かく包みこみポールは思いやりのあるにたくましい青年に成長していった。

2.学生時代
 ポールはバーモント州のブラックリバーアカデミーで大学生活が始まりましたが、非行が原因で僅か1年の在籍で放校処分となり、1885年秋ポールはバーモント大学に入学しましたが、ここでも入学後18カ月で学則違反のかどで放校されています。その後1887年19歳の時名門のプリンストン大学に入学。卒業後はシェルドン大理石会社に就職したが、祖母のパメラ・ラスチンより、祖父ハワード・ハリスがポールにかけた夢は弁護士になって欲しいということだったと聞かされ、一年発起、1890年秋、アイオワ大学法学部入学その後法学部の学位を取得して卒業。

3.5年間の飢餓と貧困の放浪時代
 ポール・ハリスは祖父母を亡くした後、世の中のあらゆることに関心がありまた生来の好奇心も手伝って5年間はアメリカ各地を廻り冒険旅行にでかけたのです。旅行といっても、いく先々でアルバイトをしながらの貧乏旅行。
いろいろな職を転々として、しまいにはイギリス船籍のバルチモア号の家畜係としてイギリスにも渡航した。大変な苦労の中に、将来のロータリーの理念を除々に身に付けていった。

4.弁護士開業
 5年間の時代もおわり、ポール・ハリス28歳の時、弁護士として開業し定住するところとして、ポールはシカゴの町を選んだ。彼が誕生したラシーヌからもそんなに遠くない。しかしアメリカ有数の大都会で貧困と富とあらゆる人種・ 宗教の坩堝と化した町。時あたかも大不況の真っ只中。このような町にポールが育ったニューイングランドの素朴な人情、友情と相互扶助の精神をこの都会にもっていきたいと考えた。

5.ロータリーの誕生
 1905年2月23日身を切るような寒い夜弁護士のポールとその顧客であるシルべスター・シールと二人でマダムガリのレストランで夕食をとり、ロータリーの構想を話し、二人を待っている二人の友人に会うためユニティビルディングの7階、711号のドワをノックした。この二人こそ鉱山技師ガスターバス・ローアと彼の友人のハイラム・E・ショーレーという洋服商であった。ここにロータリーが産声をあげ誕生したのです。


 例会場は相模原GC