相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第539回例会週報

538回 | 540回 | 2003-04週報目次
◆スワン・ベーカリーの目指すもの
障害者の生き甲斐、働きがいとは
(有)ヴィ王子取締役 スワンベーカリー
東京十条店店長 小島 靖子 様

 ご紹介いただきました小島と申します。
 たくさんの方々の前でお話するので、少しとまどっておりますが、障害を持った人たちについて話をさせていただけるならどこでも伺って、いっしょに考えていただきたい、という思いを持ちながら話させていただきたいと思います。

 ご紹介いただきました様に、私は養護学校の中でも知的な障害のある人たちの養護学校に勤務し、32年ほど彼らと過ごしました。
 またそれ以前の中学校とかを含めますといわゆる学校というところで、35年以上過ごしてきました。

 となりの八王子市にあります都立の養護学校に18年ほどいましたが、当時は養護学校が少なく、県を越えて相模原市からの生徒さんもいた様な記憶がしております。そんな時代から彼らに関わってきました。

 今はたいへん変わってきている、と思っております。
なかなか外に出せなかった時代から、今はもうみんなが受け止めるんだよ、少なくともそういう方向は出てきていると思うし、外国では障害持っている人もみんないっしょで当たり前、だという国も多くなっています。

 日本でもその後を追いながらいわゆる「ノーマライゼーション」、障害を持った人もそうじゃない人も当たり前のこととしていっしょに生きていくんだ、という考え、思いを持った方が多くなってきているということは間違いないと思います。

 いわゆる「ノーマライゼーション」という考えが当たり前になってきつつある、でも現実はなかなかそういかない、というところがまだ遅れている点かなあ、と思います。

 障害を持った人たちを知らない、ということのためになかなか受け止められない、知らないというのは学校が違うので知らないということだと思うので、この養護学校の様なかたちで障害を持った人たちが教育されていることは、それはそれで問題があるところなんですね。

 いっしょに生活していけばわかったはずなのに、学校が違ったために彼らを受け止められなくなってしまった、という現実が一つあると思います。ですから養護学校というあり方がいいかどうかということはたいへん問題だと思ってはいます。

 私、最後の14年間は王子の養護学校におりまして、高等部の子どもたちと過ごしました。彼らは18才で社会に出なくてはならないのです。学校に行きたい、勉強を続けたい、といっても、知的障害を持った人たちの学校はありませんから、これで教育の期間は終わりですので、社会に出なくてはならない、そうはいってもなかなか受け止めていただける所がありません。でも彼らの今の状態で受け止めて欲しい、とたくさんの会社にお願いをして歩きました。

 ヤマト運輸さんは小倉さんの進めている思想がちゃんと生きていて、会社の中でたくさん受け止めてくださっています。もちろんヤマトさんだけでなく、佐川急便さんもがんばってくれています。こういう大きな会社も含めて、今は障害者を積極的に雇用していこうということを考えてくれつつあります。これはもう20年も前は全く考えられなかった状況です。

 障害者の雇用を義務づけた法律ができたことも一因ですが、それだけでなく、ノーマライゼーションという立場から受け止めていかなくてはいけない、それが社会的な責任である、ということを仰ってくださる会社経営者の方がたいへん多くなってきているからで、たいへんうれしく思っております。

 受け止めていかなくてはいけない、それが社会的責任だ、それはわかるのだが、けれども自分の会社はどうやって受け止めていいかわからない、会社のどこに彼らのできる仕事があるか、いっしょに考えてください、という経営者の方も多くなっています。

 私もいろいろな会社を訪問して、ここだったらできるのではないか、すべてのことはできないけれどできることからやらせて欲しい、とお願いをし、大きな会社も小さな会社もお力をいただいて来ました。

 そういう会社が増えてきた、そして彼らもせいいっぱいがんばっている、だけど確かに能率は悪いです、今の世の中、能率がやはり一番になっていますが、彼らは能率からしたら劣っている、でも能率じゃない部分を持ってるよ、と私はいつも思いながら、ご紹介させていただいたり受け止めていただいたりしています。

 このことはいろいろな例があるのですが、スワンのことを話す前に少しご紹介します。

 アメリカではファストフード業界で、マクドナルド本社を中心に障害者雇用がかなり早い時期から進みました。それで、アメリカのマクドナルド本社がなぜ日本は障害者を雇用していないのか?と日本マクドナルド社を指導されたと思います。そこでやはりきちんと受け止めなくてはいけない、ということで、各店舗一人彼らのできるところを見つけだそうということで、8年ほど前から障害者雇用をすごくがんばられて各店舗一人ということで受け止めてくださっています。

 何をやったかというと、一番前面のお客様と接するところはなかなか難しいので、中間のバーガーを作ったりするところなら、決まった手順で作られているからそれに従ってやればいい、そこに入れる様だったらやれるよ、ということで、私どももいっしょに勉強しながら受け止めていただきました。

 始めは皆さん、とても戸惑ったと思いますが、決められたことをきちんとできる人はもちろんいますので、その中でだんだん増えて、今ではたくさん受け止めてくださっています。

 マクドナルドだけではなくて、大きな会社としては外資系が先だったでしょうか。もちろん小さな会社、5,6人規模のところでほんと人情で受け止めてくださった会社も昔からあるのですが、大企業としては外資系だったのかな、という記憶がしています。

 デニーズさんもその一社で、受け止めるのが当たり前だ、ということをどうやって会社の中で考えていくか、というところから始まって、社員の皆さんでいろいろとご苦労されたかと思います。

 デニーズさんでは厨房の洗浄の部分、あれは機械を使いながらやるので、そんなに難しくなくやらせていただけた様に思います。今もなお、デニーズさんは思いきり受け止めてくださってきています。

 ケンタッキーフライドチキンさんですが、マクドナルドでやっているんだから、ケンタッキーさんもお願い、同じような仕事だったらお願いをしたい、と本社の人事の方と話しておりましたら、では試してみましょう、ということになり、3年ほど試してみる中でやれるという見通しが出来、いろいろな店舗にだんだん入れてくださっています。

 5年ほど前に高田馬場の店でお世話になった子は、ちょっと仕事はなかなか難しいかな?と思ったんですが、若い店長さんが「この人の笑顔がとってもすてきだから、先生だいじょうぶですよ、やってみましょう。この人の笑顔が何かうちの店にとってきっと良い様な気がします。」と仰ってくれました。でも仕事できないし、そうはいってくださってもだいじょうぶかな、と心配していました。実はその店長さん思い切ってホールに出してくださいました。

 「いらっしゃいませ。ありがとうございます。」というのは言えます、言えるというより笑顔でわかります。でお客様が来店された時、いらっしゃいませ、ありがとうございます、といってテーブルを拭いたり、かたづけたりすることをやらせてくださったんです。

 そうしたらある日中年のサラリーマンの方、毎朝来店してくださるお客様だったんですが、その子がお休みの時に店長に「いつも来ているあの笑顔のすてきな人は今日はいないんですか? 僕は毎朝ここでコーヒーを飲ませてもらっているけれども、彼の笑顔に出会うと一日がとっても幸せな思いがする、僕は彼に会うためにここでコーヒーを飲んで会社に行ってるんです。」と言ってくださったんです。
店長さんはたいへんうれしくて、ありがとうございますということでご挨拶をいただいたんですよ、と私に伝えてくれました。

 「彼の笑顔が何か・・・」ということで受け止めてくださった子が、この店にとってとても意味がある存在となっている、 店長さんは、アルバイトの学生さんが心もなくただ機械的に「いらっしゃいませ ありがとうございました。」とただ言ってりゃいいんだろう、って感じで挨拶をしているのを、彼を見習いなさい、心が無くてはダメなんだ、と言いながら、彼を見本にしてアルバイトの学生を指導しています。というふうに仰っていました。

 デニーズに行った女の子、たいへん難しい子だったんですが、若い男の子大好きで、私はかっこいいお兄さんのいるところで働きたいんだ、と言ってまして、そんなこと言って困るな、と思っていたんですが、まあ一ヶ月か二ヶ月働ければいいかなあ、と思ってお願いをしまして、お兄さんたちがアルバイトで次々と変わるからいいかな、とお願いしましたら、店長さんが、まあやってみましょう、と言ってくださいました。

 始めてみると、若いお兄さんが汚れたお皿を持ってきて、お願い、と置いていくと「はい」、ときれいにして、そのお皿を違う若いお兄さんに、「これ洗えました」、と言って持っていく、これがとても彼女はうれしくて、毎日若いお兄さんから、お願いね、ありがとう、と声をかけてもらって一生懸命働いていました。ほんとに学校では考えられないほど力を出して、こんな力が彼女にあったのか、と思うほどでした。時間が終わって仕事をあがるときですが、一滴の水も無いくらいに洗い場をきれいにして仕事をあがるんだそうです、また明日も来るからね、お兄さん、といってあがるんです。

 一滴も水がないほどきれいにして次の人に仕事を渡すなんてことはパートのおばさんは今まで誰もやっていなかった、それでここでも店長さんが、彼女を見習いなさい、次の人が気持ちよく働けるというのはこういうことなんだ、と僕はいつも言ってるんですよ、と仰ってくださいました。

 能率は確かに悪いかもしれませんが、他の人がなかなかやらない様な本質的なことを彼らはやれる力があるんだなあ、と私は見直させられた思いがしました。

 そんな形でたくさんの企業さんにお世話になってきました。
彼らが持ってる力を社会で生かすということは、やはり働くことしかないのではないでしょうか。障害を持ったすべての人が働けるかというとなかなかそうはいかないで、いわゆる障害を持った人たちの作業所にお世話になっている人たちもいるんですが、ここではなかなかお金を得る、ということとか、社会参加する、という思いは持てない、学校の延長みたいになってしまっていますので、何か作ってはいるんですが、毎月5千円程度の月給、1万円の月給ならいい方、という状況になっています。

 小倉さんはご自分で足が悪くて車椅子の生活を何ヶ月かした間に、なんて日本は障害を持ってしまうと生きにくいのか、ということに気づいたそうです。

 自分は何ヶ月かで直って歩けるようになるけれども、ずっとこの状態で生きてきている人たちがいる、でこの人たちはいったいどういう生活をしているのか、ということに関心を持たれた、それでいろいろな作業所を回ってみたら、そこで彼らがお金を得ていること、月給は多くても1万円ということを知り、こんなに一生懸命働いているのに何で1万円の月給なの? と驚いて、いったいこれはどういうことなんだ、といろいろと勉強され考えられたと思うんです。

 それはやっぱりやっている仕事が悪い、お金にならない仕事をやっている、これではお金は得られないだろう、きちんと彼らがお金を得ていけるような場をぜひ作りたい、ということで考えられて、今のスワンベーカリーを提唱されたんだと思います。

 彼らが働いてお金が得られて、そして自分も社会参加しているという思いがしっかり持てるもの、というのは何かと、まあいろいろとあると思うんですけれども、アンデルセンの高木社長と出会う中で、パンの冷凍生地を買える様にして職人でなくとも少し勉強すればパンを焼けるようになる、それを作って売る店を作って一人でも多くの障害者が働ける様になったら、もっと5千円や6千円の月給ではなくいけるのではないか、そうしようということで、平成10年6月に、スワンベーカリー銀座店を直営で開店されました。

 銀座に障害者が働く場としてパン屋さんができる、これが日本経済新聞に出ているのを見まして、私、「え、何で運送会社がパン屋なの?」って思ったのですが、これが福祉財団という形の中でやられているということがわかって、さらにこれはフランチャイズで、全国展開で、ぜひ一人でも多くの人が働ける形で広げていきたいと書いてありました。フランチャイズ!!それなら私たちもやれる、と思いました。

 実はその頃、障害持った人たちがたくさん働いているけれども、長くなるとがんばっている分ストレスがたまりますので、彼らが困った時にちょっと立ち寄れる様な場所を作りたい、という思いで親御さん達と考えていて、何か喫茶店の様なもの、そこで働ける人がいて立ち寄れる人がいて、みたいなものを作ろうという話になりました。ちょうど私も定年になる年でしたので、よし、私はそこでいっしょに彼らと何かやりながら、困って相談に来る人たちの話を聞いてそこで解決できることはしていこう、また会社の方にお願いすることはしよう、と思っていたので、スワンベーカリーのイートインコーナーを大きくすれば立ち寄り場所もできるし、そこで働く人も作れるなあと思って、親御さん達と相談してこれをやらせてもらおうではないか、いうことで、ヤマト福祉財団の小倉さんのところを訪ねました。

 そこで私たちはこういう思いで、スワンベーカリーをやりたい、小倉さんの言われている通り、月給5?6千円の作業所の世界はちょっと違うというのはずっと昔から思っていた、ぜひ一人でも二人でも働いて10万とはいわないまでも数万円かの給料が得られる様な形のことが出来たら、やりたい、やらせて欲しい、ということでお願いしました。

 で私たちの開店する場所があまり立地が良くない所、裏通りの人通りのあまり多くない所だったので、見ていただいたら、アンデルセンの方に「ここは商売にならないね。」と言われたのですが、商売になるようなところは高くて借りれませんから、ここでやるしかないんです。工夫してやりますからここでやらせてください、とお願いをしてフランチャイズを出させていただくことになりました。

 フランチャイズと言っても加盟料を取られるわけではありませんし、儲かったら何%か出しなさい(儲かりませんけど・・・)ということもありません。指導はスワンと福祉財団が、アンデルセンも協力してやりますから、あとは全部自分でやってくださいということでしたので、必死でみんなで立ち上がるため、作業所としてではなく、会社としてやろう、会社としてやるということは、他のパン屋さんにきちんと対抗できる形のパン屋さんじゃないと認めてもらえない、うちは作業所だからこれでいいんだ、ということは許されないと思いましたので、有限会社として立ち上げることにしました。みんなで必死で資金を集めまして有限会社を設立し、平成11年の5月にスワンベーカリー十条店の開店ということになりました。

 場所が悪いですから来てくださるお客様は少ない、少ないから出ていって売ればいいじゃないか、ということになりました。今はお弁当やいろいろなものをお届けするということがあるから、パンをお届けする方法をやってみよう、買ってくださる方に予約をしていただいて毎週一回セットで買ってくださる方を募りまして、いわゆるパンの宅配サービスという形でお届けするということを始めました。

 毎週決まったお約束の日時にお届けするのですが、知的障害を持った人たちは身体はしっかりしていますので、お届けするということはもちろんできる、と思ってそれを始めました。それと並行していろいろな場所で売らせていただく、ということもやりました。

 一番始めにやったのは、区役所の食堂でやりました。その内いろいろな会社でやるようになりました。そのうちの一社は店の近くにあって、養護学校の卒業生がお世話になっていて行き来があったのですが、そこの社員さんが勤めている人の励みにもなるからスワンのパンを売りに来たら、と言ってくださったので、行き始めました。そこの会社の食堂で売るのですが、店では考えられないたくさんの量を買ってくださるのです。そういう出張販売をやらせていただける会社が口コミで少しずつ増えて、ありがたいと感じております。先ほどの宅配サービスというは個人の家にも行きますが、役所、学校、保育園にもお届けするということをやっています。厚生労働省でも最初は5人ほどの人がやってくださったのですが、今では100人が毎週取ってくださっています。

 厚生労働省で障害者のことをお仕事としてやってくださっている方も、実際に障害者に接することはあまりない、宅配はこの4年続いているのですが、「待ってたよ」「おいしかったよ」「また来週も頼むね」とパッと言ってくださるので、これは彼らもとってもうれしいんです。今まで彼らは「ありがとう、ご苦労さま、おいしかったよ。」と言っていただける様なことはなかなか少なかった。社会の中に関わっているということを強く感じる様になったなあ、と思っています。だから例えば木曜日はここに行くから休めない、火曜日はここに行かなくちゃいけない、パンを待っているんだから休めない、働くことへの意欲が責任といっしょに出てきています。

 個人のお宅へ「スワンベーカリーです」と持って行きますと、「とてもいい笑顔で届けてくださるので、ただスワンのパンが届いているのではなくて、笑顔がいっしょに乗っかって来るような気がします。パンがよけいにおいしい気がします。」という様に言ってくださる人が出てきたり、「心が届くような気がします。」という声が入ってきたりします。

 私は今までそんな目的で宅配を考えてきたわけではない、売りたい、がための宅配だったんです、けれどもパンの上に彼らの価値を乗っけることができたのかな、という思いがしています。これは普通の人が「スワンベーカリーです」と持って行くのとは違って、彼らが持っていくことの意味がまた何か別なものがあるのかな、と思うのと、「元気をもらう気がする。」「心が届く様な気がする。」「笑顔が乗っかって来る様な気がする。」という彼らの価値というのは、やはり能率でもないし、なんか違うんだろうなと・・・、この価値をパンに乗っけられたことを私は今たいへんうれしく思っています。

 今まで見いだせなかった価値かなと、この頃「癒し」という言葉がありますが、彼らはきっと癒してくれるような何かを持っているのでないでしょうか。

 「笑顔のすてきな人と会って、今日一日元気で働きます。」このケンタッキーの人の言葉も同じかなと思います。最近の普通の人には持ち合わせていないすごい大きな価値を、彼らは持っているのでないかと思うようになったのです。

 ぜひ「能率」ではない部分の価値が評価される、そういうものがもっと評価されなくてはいけないのに、どちらかというと私どもの足元は、能率だけが、つまりたくさんできること、早くできることだけに価値が置かれてきたという思いがいたします。

 今あらためて彼らが宅配という方法でパンをお届けする中で、パンに付加価値が付いた、この付加価値が障害を持っている人たちの大きな価値で、ここを評価していくことができればもっとたくさんの人が彼らをいっしょに含み込んで生きていっていただけるのかな、という思いをしています。

 スワンカフェというのを近くでやっているんですけれども、ここの喫茶は普通の喫茶なのですが、心を病んだ人がふっと寄るんです。
 リトルマーメイドやスターバックスには寄れない人、ちょっと気後れして入れないとかあそこの中ではほっとできないわ、という様な人たちが寄ってくれているなあ、という思いがしています。

 普通の人ですが、毎日来て、今日は元気が無いの、とか、ちょっと幻聴が聞こえちゃったと言って行かれる人もいますし、小さな子どもを連れてきて、ここだったらゆっくりできるわ、とそんな空間が出来ていて、世の中には忙しくコーヒーを飲んでさっと出る人もいるけれども、ちょっとゆっくりしたい人もいる、そんな役割を私どものカフェはしているのかな、と思ったりしています。

 パンをお届けしながらたくさんの人と出会え、彼らしか持っていない価値が見いだせそれを受け止めてくださっている人たちが少しずつ増えているということで、たいへんうれしく思っています。

 スワンベーカリーが目指すものがあるのですが、まずつぶれない様にする、ということは目指さなくてはいけないことなのですが、その中でやはり働くということで社会に参加する、何かに役立つという思いが持てる様なそんな場を作り出してあげれば、彼らは生き甲斐を感じるな、お金はもちろんですけれども、お金たくさんくれるだけで何もしないでいいから座っていなさい、では耐えられない。

 やはりやり甲斐があること、自分がやって喜んでもらえたこと、そして良かったな、と思えることがないと、やはり働きがいというのは見えないのかな、と思っています。
何もしないで座っててお金をいただいていたら、きっとうれしくないんじゃないか、と思います。ですからぜひ彼らが自分で精一杯やったものが、誰かに喜んでもらえ役立つという思いの中で、少しでもお金がたくさん得られる様にしていきたいと思っております。


◆2001-02年度交換留学生
ジョン・スンラギ君と父上のジョン・ソクス様

「ジョン・スンラギ君挨拶」
お久しぶりです。
僕がここで青少年交換留学生として生活していたのも2年近く経ちます。
昨日おとといの様な気がします。
今回は皆様に招待してもらって今小林さんのところにお世話になっています。
今年は大学にも合格して皆さんにもこうして会えて僕にとってはすばらしい年に
なりました。これからもどうぞよろしくお願いします。


「ジョン・ソクス様挨拶」
はじめまして、私はジョンの父のソクスと申します。
お会いできてうれしいです。
私も釜山南山ロータリークラブの一員ですので、グリーンの例会に
参加させていただいて光栄です。
2年前、息子をお世話していただきたいへん感謝しています。
私たちはこの縁を忘れず、大切にしていきたいと思います。
また相模原グリーンロータリークラブがこれからも末永く発展する様に、
そして今年も皆さんにとって良い年になる様に、願っております。
これからもどうぞよろしくお願いします。