相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第537回例会週報

536回 | 538回 | 2003-04週報目次
◆新年挨拶
今井 睦 会長

  2003-2004年度の例会の予定は48回で丁度半分の24回が終了しました。やっと半分なのか?もう半分なのか?感じ方は人様々だと思います。
 最初の2ヶ月は何をしているのか落ち着かないまま過ぎてしまい、肩に力が入りすぎて皆さんにご迷惑をお掛けしました。体調もその時は最悪で引退した星野監督と同じに突発性頻脈などで尾畑先生のお世話になりました。心臓の方は落ち着いてきましたが、今は咽頭神経症に悩まされています。
歯科医師会の役職を辞める予定で会長を引き受けたのですが辞められず、歯科医師会創立60周年も重なり予定外でした。
 年度始めの挨拶でお話したいくつかの目標、大阪国際大会の全員参加については現在32名の登録済みとまずまずだと思います。情報集会単位の社会奉仕に関しては相模原は子どもの為の昔の遊び、相模原南はビーチボールバレーの用具寄付を無事終えました。橋本は5月5日の子どもの為の音楽会に向けて準備中、上溝は現在熟慮中です。
また卓話の充実に関しては特に外部卓話(赤瀬さん・石川さん・木村さん・小方さん・上條さん)は興味深いものがあったと思います。また親睦委員会のお骨折りにより家族ボーリング大会、西クラブとのゴルフ対抗戦、インターアクトとの清掃奉仕、クリスマス会が楽しく行なわれました。これも小林親睦委員長そして委員の皆さんのお陰だと感謝しています。
 個人的に目標にしていた情報集会への全て参加と禁煙によるベネファクターは実行しています。後半の抱負については次週のクラブ協議会でお話したいと思いますので今日は半期が無事終了できたことを皆様に感謝して終わりたいと思います。

◆イニシエーション・スピーチ
神座 磯男 会員

 皆様あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
 昨年11月に柏木会員の紹介で入会させていただきました。皆様にはご親切にフォローを頂き、相模原グリーンロータリークラブの水にも慣れてきました。改めて心よりお礼申し上げます。

 私は1945年(昭和20年3月)山梨県に生まれ、今年59歳になります。(8人兄弟の末っ子です。)1959年から1981年まで横浜市、1981年から川崎市に住み、神奈川県民として44年間暮らしてきました。家族は、妻と三人娘に囲まれ幸福な人生を送って参りました。長女、次女が嫁ぎ、今は末娘と三人暮らしですが、12月に次女が初孫をプレゼントしてくれ、正月は家族水入らず賑やかに過ごしました。

 私の仕事は、オフィス家具、特に中古品を主に販売し、またここに関わる産業廃棄物収集運搬サービスとオフィス什器の移動・移設サービス等を行っております。川崎市宮前区に本社を置き、大和市と横浜市に支店を持ち、25名の社員と共に事業を行っております。今年で創業23年目を迎えました。また一方、昨年3月にこの近く星が丘に、手作り家具とインテリア小物の店「アラジン」をオープンしました。こちらはまだスタートして10ヶ月ですので「石の上にも三年」の序盤です。社員共々創造性と熱意で頑張っていく所存です。長く続いている不況ですが、僅かながら景気回復の兆しが見えてきていると感じております。今ここに会社が継続しているのは、「地域社会のお役に立てる会社」を目指した経営理念に基づき、私だけではなく社員一人一人が努めてきたからこそだと思います。

 生い立ちからの忘れない思い、幼少の頃の生活は貧乏でした。四人の姉が次々と嫁いでいく度に畑が無くなり借金も増え、親も苦労していました。親を少しでも助けようと思い、小学生の頃から新聞配達をしていました。特にアイスクリームの思い出は忘れません。生まれて初めて食べたアイスクリームの美味しさは格別なものでした。「大人になって働くようになったら腹一杯アイスクリームを食べてやる。」という思いは今でも脳裏に焼きついています。また、私の人間性が形成される過程においては母の影響が大きかったと思います。思いやりのある優しい人でしたが、悪い事をすると妥協なく青竹でお尻をひどく叩かれたものです。深い愛情で強い心身を授けてくれました。

 座右の銘は「我が身を立てんとせば先ず人を立てよ」。これからも謙虚に生き続けていきたいと思います。