チェス・オリンピアード

                  2003.6.2

                   権田源太郎


  
  

  

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1、 歴史
 1924年パリで設立された世界チェス連盟(FIDE フィデー)は、さっそく加盟国を代表するメンバーによるチーム選手権を企画した。1924年と1926年に国別のチーム選手権が行われた後、1927年にFIDEの主催の元で、正式にチェスオリンピアードとして、国別のチーム選手権が行われた。これがチェスオリンピアードの第一回大会である。

 1927年のチェスオリンピアードの参加国は16カ国で、初期のチェスオリンピアードは男性のみの参加であった。1927年の大会で、初めて各チーム4人づつの選手による対抗戦の形が確立した。
その後おおむね二年おきに行われ、参加国もしだいに増えていったが、1939年の第8回アルゼンチンのブエノスアイレス大会(27カ国参加)の後、第二次世界大戦の間チェスオリンピアードは中断された。

 チェスオリンピアードは戦後、1950年ユーゴスラビアのドブロブニクで行われた第9回大会から再開された。ドブロブニク大会の参加国はわずか16カ国であったが、その後は順調に増え、1986年ドバイで行はれた第27回大会からは参加国は100カ国を超えている。開催時期はドブロブニク大会からは2年毎に行われている。

 女子のチェスオリンピアードは、1957年オランダのエメンで初めて行われた。初めのうちは女子のチェスオリンピアードは、男子とは別個に行われていたが、1972年のユーゴスラビアのスコピエ大会から、男子と女子は、同じ時期に同じ場所で行われるようになった。

 なおチェスは1999年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、オリンピックの正式種目として認可されており、オリンピックの開催国が希望すれば、通常のオリンピックと同時に開催することが出来るそうである。

今までに行われたチェスオリンピアードの時期、場所、参加国数、上位3チームの国名については、下の表参照。

Men´s Chess Olympiads

No

Year

Place & info

Top three

 

Teams

YU-pl.

Games

Download

 

1924

Paris, France UNOFFICIAL

Czechoslovakia 31, Hungary 30, Switzerland 29

 

18

18

 

24ol_m.zip

 

1926

Budapest, Hungary UNOFFICIAL

Hungary, Yugoslavia, Romania

 

4

2

 

26ol_m.zip

1

1927

London, England

Hungary 40, Denmark 38½, England 36½

 

16

9

 

27ol_m.zip

2

1928

The Hague, USA

Hungary 44, USA 39½, Poland 37

¤

17

YUG. DID NOT COMPETE

3

1930

Hamburg, Germany

Poland 48½, Hungary 47, Germany 44½

¤

18

YUG. DID NOT COMPETE

4

1931

Prague, Czechoslovakia

USA 48, Poland 47, Czechoslovakia 46½

 

19

4

 

31ol_m.zip

5

1933

Folkestone, England

USA 39, Czechoslovakia 37½, Poland 34

¤

15

YUG. DID NOT COMPETE

6

1935

Warsaw, Poland

USA 54, Sweden 52½, Poland 52

 

20

6

 

35ol_m.zip

 

1936

Munich, Germany UNOFFICIAL

Hungary 110½, Poland 108, Germany 106½

 

21

4

46/160

36ol_m.zip

7

1937

Stockholm, Sweden

USA 54½, Hungary 48½, Poland 47

 

19

9

27/72

37ol_m.zip

8

1939

Buenos Aires, Argentina

Germany 36, Poland 35½, Estonia 33½

¤

26

YUG. DID NOT COMPETE

9

1950

Dubrovnik, Yugoslavia

Yugolslavia 45½, Argentina 43½, West Germany 40½

 

16

1

480/480

50ol_m.zip

 

 

Dubrovnik, Yugoslavia

YUG-players games

 

 

 

60/60

50ol_y.zip

10

1952

Helsinki, Finland

USSR 21, Argentina 19½, Yugoslavia 19

 

25

3

60/60

52ol_m.zip

11

1954

Amsterdam, Netherlands

USSR 34, Argentina 27, Yugoslavia 26½

¤

26

3

68/68

54ol_m.zip

12

1956

Moscow, USSR

USSR 31, Yugoslavia 26½, Hungary 26½

¤

34

2

72/72

56ol_m.zip

13

1958

Munich, West Germany

USSR 34½, Yugoslavia 29, Argentina 25½

¤

36

2

76/76

58ol_m.zip

14

1960

Leipzig, East Germany

USSR 34, USA 29, Yugoslavia 27

¤

40

3

80/80

60ol_m.zip

15

1962

Varna, Bulgaria

USSR 31½, Yugoslavia 28, Argentina 26

 

37

2

80/80

62ol_m.zip

16

1964

Tel Aviv, Israel

USSR 36½, Yugoslavia 32, West Germany 30½

¤

50

2

76/76

64ol_m.zip

17

1966

Havana, Cuba

USSR 39½, USA 34½, Hungary 33½, Yugoslavia 33½

 

52

4

55/76

66ol_m.zip

18

1968

Lugano, Switzerland

USSR 39½, Yugoslavia 31, Bulgaria 30

 

53

2

72/76

68ol_m.zip

19

1970

Siegen, West Germany

USSR 27½, Hungary 26½, Yugoslavia 26

¤

60

3

76/76

70ol_m.zip

20

1972

Skoplje, Yugoslavia

USSR 42, Hungary 40½, Yugoslavia 38

¤

62

3

88/88

72ol_m.zip

21

1974

Nice, France

USSR 46, Yugoslavia 37½, USA 36½

 

73

2

60/92

74ol_m.zip

22

1976

Haifa, Israel

USA 37, Netherlands 36½, England 35½

¤

48

YUG. DID NOT COMPETE

 

1976

Tripoli, Libya UNOFFICIAL

El Salvador 38½, Tunisia 36, Pakistan 34½

¤

34

YUG. DID NOT COMPETE

23

1978

Buenos Aires, Argentina

Hungary 37, USSR 36, USA 35

 

65

15

56/56

78ol_m.zip

24

1980

La Valetta, Malta

USSR 39, Hungary 39, Yugoslavia 35

 

82

3

 

80ol_m.zip

25

1982

Luzern, Switzerland

USSR 42½, Czechoslovakia 36, USA 35½

¤

91

4

56/56

82ol_m.zip

26

1984

Thessaloniki, Greece

USSR 41, England 37, USA 35

 

88

 

56/56

84ol_m.zip

27

1986

Dubai, United Arab Emirates

USSR 40, England 39½, USA 38½

 

108

15

54/56

86ol_m.zip

28

1988

Thessaloniki, Greece

USSR 40½, England 34½, Netherlands 34½

 

107

6

56/56

88ol_m.zip

29

1990

Novi Sad, Yugoslavia

USSR 39, USA 35½, England 35½

 

107

5

168/168

90ol_m.zip

30

1992

Manila, Philippines

Russia 40, Uzbekistan 35, Armenia 34½

¤

102

YUG. DID NOT COMPETE

31

1994

Moscow, USSR

Russia I 37½, Bosnia 35, Russia II 34½

¤

124

16

56/56

94ol_m.zip

32

1996

Yerevan, Armenia

Russia 38½, Ukraine 35, USA 34

¤

114

22

56/56

96ol_m.zip

33

1998

Elista, Kalmykia

Russia I 35½, USA 34½, Ukraine 32½

¤

110

18

52/52

98ol_m.zip

34

2000

Istanbul, Turkey

Russia 38, Germany 37, Ukraine 35½

¤

131

24

56/56

2000ol_m.zip

35

2002

Bled, Slovenia

 

 

 

 

 

 

 

Women´s Chess Olympiads

1

1957

Emmen, Netherlands

USSR 10½/16, Romania 10½, East Germany 10

 

21

 

 

 

2

1963

Split, Yugoslavia

USSR 25/28, Yugoslavia 24½, East Germany 21

 

15

2

 

 

3

1966

Oberhausen, Germany

USSR 22/26, Romania 20½, East Germany 17

 

14

 

 

 

4

1969

Lublin, Poland

USSR 26/28, Hungary 20½, Czechoslovakia 17

 

15

4

0/?

69ol_w.zip

5

1972

Skopje, Yugoslavia

USSR 11½/14, Romania 8, Hungary 8

 

23

 

 

 

6

1974

Medellin, Colombia

USSR 13½, Romania 13½, Bulgaria & Hungary 13

 

25

7

26/26

74ol_w.zip

7

1976

Haifa, Israel

Israel 14, England 11½, Spain 11½

 

23

YUG. NOT PLAYED

8

1978

Buenos Aires, Argentina

 

 

 

 

 

 

9

1980

La Valetta, Malta

 

 

42

 

 

 

10

1982

Luzern, Switzerland

USSR 33, Romania 30, Hungary 26

 

45

10

12/42

82ol_w.zip

11

1984

Thessaloniki, Greece

USSR 32, Bulgaria 27½, Romania 27

¤

51

9

42/42

84ol_w.zip

12

1986

Dubai, United Arab Emirates

USSR 33½, Hungary 29, Romania & China 28

 

49

5

36/42

86ol_w.zip

13

1988

Thessaloniki, Greece

Hungary 33/42, USSR 32½, Yugoslavia 28

 

56

3

 

 

14

1990

Novi Sad, Yugoslavia

Hungary 35/42, USSR 35, China 29

¤

64

5

126/126

90ol_w.zip

15

1992

Manila, Philippines

Georgia 30½/42, Ukraine 29, China 28½

 

62

YUG. NOT PLAYED

16

1994

Moscow, USSR

Georgia 30/42, Hungary 31, China 27

 

81

 

 

 

17

1996

Yerevan, Armenia

Georgia 30/42, China 28½, Russia 28½

¤

74

13

42/42

96ol_w.zip

18

1998

Elista, Kalmykia

China 29/39, Georgia 27, Russia 27

¤

72

5-10

39/39

98ol_w.zip

19

2000

Istanbul, Turkey

China 32/42, Georgia 31, Russia 28½

¤

86

5

42/42

2000ol_w.zip


女子の20回大会は、スロベニアのブレドで行われた。参加は90チーム。
成績は、1位中国、2位ロシア、3位ポーランド。

次回2004年のチェスオリンピアードは、スペインのマヨルカ島で行われる。

2、 チーム選手権のやり方
 登録できる選手は、男子が6名、女子が4名で、試合は男子が4名ずつ、女子が3名ずつのチーム対抗戦で行われる。
勝ちは1ポイント、引き分けは0.5ポイント、負けは0で数える。
例えば男子の試合で、一方が2勝1引き分け1敗の場合は、2.5ポイントを取り、相手のチームは1.5ポイント取る事になる。
 参加国が少なかった時は総当りで行われた事もあったが、参加国が非常に多くなった最近では14試合のスイス式トーナメントの形式で行はれている。
スイス式トーナメントというのは、参加したチームは成績のいかんにかかわらず同じ数の試合を行い、累計のポイント数で順位を争うものである。
 組み合わせは、累計ポイントの同じチーム同士を当てていく。これだと、勝ち進んで累計ポイントが増えてくると、同じように勝ち進んできた強いチームとあたることになり、負けが込んで累計ポイントが伸びないと、同じように調子の上がらないチームとあたることになり、勝つチャンスが増えることとなる。
 勝ち抜き戦だと好不調などの偶然の要素で勝敗が決まってしまう恐れがあるが、スイス式トーナメントであれば、数多くの参加者があったとしても十分に対応でき、合理的に順位を決めることが出来る。
 チェスオリンピアードは、男子も女子も一日一試合14試合を行う。間に2日休みが挟まれるので、会期は16日間になる。

3、 スロベニアのブレドオリンピアードに参加して
 2002年の第35回チェスオリンピアードはスロベニアのブレド市で、10月25日から11月11日まで17日間かけて行われた。参加チーム数は男子が134チーム、女子は90チームで今までで一番多かった。
10月25日の開会式には、FIDE会長はもちろんのこと、スロベニア大統領、スロベニアの教育科学スポーツ大臣、ブレド市長らも顔をそろえ、アトラクションを交えて盛大な式典が行われた。
 翌日26日からの試合の会場には、開会式で使われたのと同じブレド市の大きな体育館が使われた。
そこで男子は、134X4名=536名、女子は、90X3名=270名、選手だけで806名、選手の他に各チームのキャプテンや、各チーム戦毎に置かれているアービター(審判)、報道関係者などを合わせると1000名を超える人が一堂に会して試合が行われた。
これだけの人が集まりながら、試合中の静けさはきちんと保たれていた。アービターの努力と観客を含めた関係者の理解の賜物である。

 試合の持ち時間は、ブレド大会では、一人が(90分+30秒?1手当り)であった。
これだと、40手まで進むと、一人が90分+30秒x40手=110分持つことになる。これは国際大会の持ち時間としては短い方である。
試合は毎日2時から始められた。

 チェスの公式戦では当然の事であるが、選手は必ず各自が対局の記録を取る。試合が終わると、担当のアービターの立会いの元で、選手は互いに記録用紙にサインをして記録用紙のオリジナルをアービターに提出する。さらに男子の例だと4人全員の試合が終了すると、アービターの立会いの元で、両チームのキャプテンが、試合結果を書いた紙に互いにサインをする。
 国を代表したチームの対抗戦だけにこの辺は厳密に運営されていた。 今回の大会では、試合に使われたすべてのチェス盤がセンターのコンピューターとつながっており、選手が盤上でコマを動かすたびにその手がコンピューターに記録されていた。
 翌日の2時には、前日に行われたすべての試合、男女合わせて112試合が載った会報が発売されたが、コンピューター連動の自動盤を使うことにより、会報作成の手間はかなり短縮されたと思われる。

 試合には国を代表するチームとは別に、目の不自由な人だけのチームと足の不自由な人だけのチームが、それぞれ1チームづつ参加していた。
目の不自由な人だけのチームの人は、その人だけの手で触れることの出来るチェス盤を使い、また対戦相手が自分が指した手を読み上げ、両者の指した手を盤面で動かしてあげる必要があるが、トラブルも無くうまくいっていた。
足の不自由な人だけのチームには車椅子を使っている人もいたが、会場はバリアフリーでまったく支障が無かった。
こうしたチームを受け入れるという配慮はなかなか日本では考えにくいように思う。
 FIDEの理念は、ラテン語で「Gens una sumus」(ゲンズ ウナ スムス)、「我々は1つの家族」の意味であるが、まさにそれを実践しているようで印象深かった。
 なお、チェスオリンピアードでは、1930年ハンブルグの第3回大会から、プロ、アマチュアの別無く参加することが出来るようにオーブンになっている。

 閉会式は、11月11日の夜同じ場所で行われた。まずFIDE会長を始め関係者の挨拶の後、ボード毎の成績上位3名までの表彰が行われた。男子は第1ボードから第6ボードまで、女子は第1ボードから第4ボードまで、金メダルから銅メダルまでが授与された。
そのあと続いていよいよチーム選手権の表彰が行われた。チーム成績の結果は、男子が、1位ロシア、2位ハンガリー、3位アルメニア。女子は、1位中国、2位ロシア、3位ポーランドであった。
それぞれメダルの授与のあと、優勝国の名誉をたたえるため国歌が演奏された。優勝したロシアと中国のキャプテンと選手達は、さすがに嬉しそうであった。
 日本はベストメンバーをそろえられなかったこともあり、男子108位、女子86位の結果だった。

 私はチェスオリンピアードに参加するのは、今回で4回目であるが22年振りであった。久しぶりの参加であったが、今回は非常に楽しいものであった。
 今回十分楽しめたのにはいくつか理由があるが、先ず開催地が良かったことがあげられる。ブレド市は、ブレド湖の周辺に広がった高級保養地で、近くにはジュリアンアルプスの山々が連なり、夏は避暑地、冬はスキー場に行く人の基地ともなる風光明媚な所で、試合の無い時には散策などが十分に楽しめた。
 日本チームの宿泊場所は、ブレドからバスで30分ほど離れたボヒニ湖の側にあるホテルであった。ボヒニ湖はブレド湖より広いが、ブレドよりは鄙びた感じの此処もまた風光明媚な保養地だった。
紅葉も終わりごろの季節であったが、朝、湖の周辺を散歩すると、すんだ空気と冷気に包まれて、疲れた頭が芯からリフレッシュされるようであった。 ホテルは、イェズロ(湖という意味)という大きくは無いが瀟洒で快適な所であった。食事がおいしく、期間が長いだけにこれも今回の印象を良くする大きな点だった。
 大会運営も到着した時の対応を除けばまずまずで(先方の不手際で、成田を出てからホテルに着くまでに21時間も掛かり、初戦日本チームの成績が悪かったのはこの疲れの影響もあった。)、観光旅行などもうまく計画されていた。
またスロベニアの物価が、日本の5,6割と日本人にとっては安かったのも良かった。
そして何と言ってもいい仲間と一緒だったことが、今回楽しかった大きな理由であった。

 日本チームの男子と女子は同じホテルだったが(主催国の運営によって、ホテルが違う場合もよくある。)、互いにチェスを検討したり、夜はワインなどを飲みながら懇談するなど、長い期間を楽しく過ごすことが出来た。
コーチに雇ったロシア人のプロのチェスコーチであるルイセンコ氏も、チェスの教え方もうまく、また人柄も良いものであった。

 私の個人成績は、全部で14試合ある内の10試合に出て、3勝3引き分け4敗であった。勝率は45%で、目標の50%にいかなかったのは残念であったが、今回の参加は先ほども述べたように大変楽しいものであり、仕事を20日間も離れて毎日チェスをやるという、非日常的な生活を送れたのも非常に貴重な体験であった。